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「強く」ではなく、「弱く」なれ_自分の為だけに書くnote

(注:ただの個人的な思考整理作業のための日記です。エンターテイメント性や、読みやすさは全く考慮していないのでご了承ください。)

2023年5月29日(月)

今日は、起きた時もゾンビやと思ったけど、起きてみたら半ゾンビくらい。

昨日から、いつもよく考える男女平等社会について考えていた。
「女性も活躍する社会」「強い女性」「キャリアウーマン」「バリバリ働く女性」
男女平等社会は良いと思うけど、そういうワードにはずっともやもやしていた。

「みんなが必死でバリバリ働くのが正しい社会」「みんなが地位を勝ち取る競争に参戦するのが正しい社会」になってる気がする。
なんか息苦しいし、そんな社会に生きたくない。

強くなるんじゃなくて、弱くなれば良いんじゃないの?
そんな言葉が頭に浮かんできて、なんか腑に落ちた。私にフィットする。みんなが強者になろうとすると、競争がさらに加速して、みんな心身共に病んでいく。みんながちょっとずつ弱くなれば、弱くて良いんだと思える社会になれば、競争はもう少しだけ、競争したいかしたくないかを選択できる状況になって、社会全体が安心出来る気がする。

「自分の為だけに書くnote」を書こうと思ったのも、自分自身が作り上げてしまっている内と外の顔の間にある壁をちょっとでも壊したいからで、ありのままの自分を誰も見てないところだけど、公の場であるここで出すことが自分をさらけだす小さな一歩になるかもな~と思ったから。私の弱みを見せたい欲がむくむくと育ってるのかもかも。

私は外では弱みを見せられない。私の弱みを素直に見せられるのは私自身とパートナーだけ。頑張って弱みを見せられるのは両親だけ。友達とか同僚には心配するエネルギーとか時間とかを使わせたくないと思って、弱みを見せられない。
「弱みを見せる=人の時間とエネルギーをほしいとお願いする事」って方程式が私の中で出来上がってる。

あなたの時間とエネルギーを下さいと言える人がいないのかもしれない。
言うと、友達で居てくれる人が残らないと思ってるのかもしれない。
言うと、自分もそうしないといけなくて、めんどくさいと思ってしまうのかもしれない。
自分が時間とエネルギーを割きたいと思える人にここではパートナー以外に出会えてないのかもしれない。

そう思うと、日本に居る友達の方が弱みを見せられるし、その人たちの為に時間やエネルギーを割きたいと思える。
ここでも、弱みを見せられそうな友達はいるけど、そこまで会えないから、躊躇している人もいる。
友達も恋愛と同じく、出来るものであって作るものではない。タイミングや環境も凄く大事。
パートナーに出会えただけでも、私の心は幸せなので、それで良いのやろう。

弱い自分を人前に出す必要もないな。ただただ、ちょっとだけ弱くなって、その弱さを私自身が愛おしく思えたら心地よさそう。自分の性格上、人にどう見せるかは、にじみ出てくるものだけで充分な気もしてきた。


書き終わった今、やっぱり今日もゾンビかも。

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