推しの性格は語らない

「性格」は語ら(れ) ない

私は、好きなアイドルグループのことや推しのことを自分の友人に語るとき、決して言わないように意識していることがある。それは、「この人はこういう性格で……」「彼の性格上さ……」というようなことだ。
つまり、私は、彼らの性格を語るようなことは言わないということだ。
たとえ自分が世界一好きな推しであったとしても。
これには私なりのポリシーというか、こだわりがあるからだ。
私は基本的に、「実際に会ったり関係を築いたりしたことのない人の「性格」なんて自分がどうして語ることができようか(いや、できはしない)」という考えを持っている。人を勝手に定義してしまうような表現をしたくないのである。
さらに推しなどの場合は、私如きが恐れ多くも彼らのことをこの口で形容するだなんて、という、恐れ多さが加わってくる。

でも、もしかしたら私は、心のどこかで、推しから感じる人柄を何かの言葉にあてはめて勝手にカテゴライズしてしまうときがあるかもしれないが、それを口に出しはしない。
(まあ、「優しい」や「心が温かい」などのポジティブな言葉なら言っていいとも思うが(笑))

私のこうしたスタンスは私と推しとの間の「遠さ」を表しているのかもしれない。
多分、自分の親しい友人のことを誰かに話すときには、私は「性格」という単語を口に出すと思う。自分の中で出来上がっている「その人像」を、自信満々に語ると思う。「私が一番の友達なんだぜ」「この人のこと、私はよく知ってるんだぜ」と、ちょっと自慢したい気持ちがあるからなのかもしれない。
けど、推しの場合はこれができない。
いくら愛するグループ、愛する推しだとしても、それはできないのである。


ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
私akegataにはアイドルの推しがいます。
今回は、推しに対する自分の姿勢としてのこだわりについて書いてみました。

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