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小説『雨下の向日葵』2018年春―②

※この作品は毎週更新している小説の第二回になります。
前回 小説『雨下の向日葵』 2018年春―①|明日美言 (note.com)


 翌日。朝は曇っているだけだったのに、昼過ぎからはまた雨になった。仕事が終わるなりさっさと車に乗って家路につきはしたけれど、車道はひどく混みあっていて、思うように前へ進めない。打ち付けた雨が潰れて、べっとりとフロントガラスに広がっていく。濡れた窓の表面がワイパーに容赦なく拭かれて、けれどまたすぐに濡れてを繰り返す。右手の人差し指が、握ったハンドルを無意識に叩いている。自分がこんな貧乏ゆすりのような癖をもっていたことを、私は今この時まで知らなかった。なんだか自分という人間のくだらなさを垣間見たような気分だ。小説家、とかっこつけて名乗ったところで、中身がこれでは、明治大正昭和の文豪のようになどなれやしない。いや、過去の文豪の中には大層なろくでなしも居たらしいから、その例に従えば、私にもまだ希望はあるか。とはいえ、名を残せたとしても、後世の人間にろくでなしと呼ばれるのはさすがに私も不本意だ。とりあえず、貧乏ゆすりは何とか直す努力をすることにしよう。
 指を止め、再び動き出さないよう意識を割きつつ、窓の向こうに見える歪んだテールランプを見つめてみる。先行車のリアガラスには、赤ちゃんを乗せているという意味のステッカーが貼られている。黄色い、ベイビー・イン・ザ・カーというあれ。よく見ると、後部座席には女性が座っていて、その女性が隣の座席の方を気にしている。きっと、そこに子供が座らされて、もしくは寝かされているのだろう。
 子供を欲しいと思ったことはない。結婚をしたいと思ったことも。信じてもらえたことはないけれど、私は一度の恋だって経験したことがない。
「葵ちゃんも、早くいい人見つけないとね」
「もう今年で三十やもんね」
 正月に言われた言葉が鮮明に蘇って、車内の空気を不味くした。
 母方の実家には子供が少ない。具体的には、私の従妹にあたる人とその旦那さんの間に生まれた二人だけだ。従妹が結婚するまでは、私も彼女も、正月になれば、結婚はまだか、と古臭い価値観を隠しもしない、というよりその価値観がもう時代遅れだということに全く気付いていない親戚からの言葉をかけられていたのだけれど、彼女が結婚してからは、二人に分散していた矛先が私に集中するようになった。何度か、私は結婚する気はない、という意思をやんわりと示してみたこともあるけれど、そういう時、親戚の老人は決まって、結婚すればその気持ちも変わるだとか、子供が生まれれば結婚してよかったと思うとか、そんなことばかり言って、結局は早く結婚しなさいという言説に返ってきてしまう。数年前までは協力関係にあった従妹でさえ、
「葵ちゃんも、ちょっとは考えてみてもいいんちゃう?」
などと言ってくる始末だ。
 私は恋愛をするつもりはない。一人で歩くのもやっとなのに、他人と手を取り合って二人三脚をするなんて、過去の私ならいざ知らず、今の私に出来るはずがない。私は私という存在の根本、裸の私を、新しく出会う誰かに見せるつもりはもちろんのこと、自分のそれを誰かに委ねることも、自分以外の人間のそれを受け入れることも、もうできそうにない。私は、十八歳ごろから私が自他の間に引くようになった境界線が、他人が彼ら自身を囲う線よりも強固で排他的なものだということを知っていた。有刺鉄線のように、外へ出ることも、内に入れることも拒む厄介なその境界の中に居ることに慣れてしまった私に、他人と一つ屋根の下に住んで子供をもうけるなんてことは不可能なのだ。
 なんとなく口元を動かしていると、そんなつもりはなかったのに、チ、と舌打ちのような音がした。一瞬それに驚いてから、けれどすぐに、今度は自分の意志で、強めにチッ、と舌打ちをして、鞄から煙草を取り出した。箱から出したタバコをくわえたところで、信号は青になった。私は、わざとスタートを遅くして、先行車との距離をあけた。リリアガラスが遠ざかって、暗がりに浮かんでいた母親の姿も見えなくなった。じっとそれを目で追っていると、後ろからクラクション。わかっとるわ、とまた舌打ちをして、アクセルを踏む。しばらくは直進。なのでその間に、雨粒が入らない程度に上手く窓を開け、ポケットからライターを取り出した。走りながらは流石に不安だったので、仕方なく信号に引っかかるのを待ってからタバコに火を点ける。汚れた煙が肺の中に充満していく。苛立っていた気持ちが、すっと穏やかになっていく。
 汚れたもので気を落ち着かせるなんて、ちょっとおかしい。けれど、こういう汚さがないと生きていけない私は、どうしようもないくらいに大人なのだと思った。昔は早く大人になりたいとずっと思っていたのに、今は自分がもう大人になりきってしまったという事実が哀しかった。結局のところ、私の望みはいつだってないものねだりだ。いや、一時だけ、そうではない時期もあったか。大人になりたいと願っていた私が、この時間がずっと続けば、なんて、それこそ小説の中の人物のようなロマンチックな夢を見たことが確かにあった。それはやはり、昨日の晩に思い出したあの逆光と強く結びつけられた記憶だった。その記憶の景色の明るさと、今車内を満たしている青い薄暗さの間にあるどうしようもない断絶を感じる。あの頃の自分が今の自分に至るまでの全てを私は見てきたはずなのに、十七歳の自分と、今の自分との間を繋ぐ過程がひどく曖昧で、私と彼女が同じ人間だという事実にどこか現実感がない。それは自分という人間にとって、十七歳になったあの年の経験そのものが、短い夢のような時間だったということと、またその夢のような時間に対して、それが過ぎ去った後に私が与えたあまりに大きな意味とが作用した結果なのだと思う。そして何より、夢の渦中で私が思い描いた夢の続きと、もうとっくに夢から覚めた私を取り巻く現実との間にある距離が、そっくりそのまま、当時と今の私の間にあるようでもあった。理想とかけ離れた生活を送って居れば、それこそ誰かと結婚でもして、子育てに追われていれば、その距離も苦にならなかったのかもしれない。もしかすると、そんなことを考えた時期もあった、と、その距離を笑って許すこともできたのかもしれない。けれどそれには当然、あの夢のような思い出と決別して、完全に現実の中に馴染む必要がある。思い出はあくまで思い出のままに留めなければならない。もし記憶に縛られるようなことがあっては、自分の前にどうしようもなく広がる現実という砂漠の中で、貼るのに失敗したシールの気泡のように浮ついた存在になってしまう。今現在という時間に馴染めず、自分で自分を取り巻く世界から疎外してしまう。そういう人間の生活は空虚だ。なぜなら、過去に縛られた人間にとって、幸福は即ち、既に過ぎ去ったものであり、これからやってくるものではないからだ。後ろを向いて歩いているものだから、前からどんな幸せの種が転がってきてもそれに気づくことができない。ただ、自分のずっと背後にある、一度は手の中にあったはずの景色に向かって手を伸ばし、そのうちに疲れた腕を下ろして、淀んだ執着を視線に溶け込ませて、過ぎていく時間を傍観するしかない。
 今の私は過去の夢の続きの再現を生きる指針にした結果、まさしく浮いたシールになってしまっているのだ。夢の続きにたどり着くこともできず、かといって、それを諦めて今更新しい道を歩く勇気も行動力もない。
 どうすればいいんだろう。ここ数年、何度も自問して来た言葉がまた、口から零れた。たどり着く答えはいつも同じ。どうするもこうするもない。もう、どうしようもない。私は一年草だった。一度咲いたら、もう枯れるだけの花だった。ただ、それだけの話。
 結局、家に着いたのは七時を少し過ぎた頃だった。いつもより三十分も遅い。車に傘を積んでおくのを忘れたせいで、車を降りて家に入るまでの十秒にも満たない間に濡れてしまった服を、洗面所の洗濯かごに押し込む。この一週間、あれこれと言い訳をして怠惰な生活を送ったせいで溜まった衣類は、上から押すと一旦かごに収まって、けれど手を離すとまたすぐに盛り上がって、かごの口の上でこんもりとした山になった。流石にこのままで置くのも気になって、洗濯と乾燥を両方やってくれるよう、洗濯機をセットして、かごの中の衣類を半分程、そのドラム式の口の中に放り込んだ。湯を沸かす時間を待つのが鬱陶しかったので、風呂はシャワーで済ませた。風呂を出て体を拭く頃には、洗濯機は既に投入された服を水や洗剤と一緒に咀嚼し始めていた。濡れた髪をタオルでまとめてリビングへ。昔、髪はちゃんと乾かさないと傷んでしまうと教えてもらったことがあって、しばらくは言われた通り、髪の状態にもかなり気を使っていたのだけれど、いつの間にかそんな習慣もどこかに落としてきてしまったようで、洗面台の下に収納されているドライヤーが夜に仕事をすることはほとんどない。夜に、と言った通り、朝はシャワーの後に髪を乾かしていくので出番があるから、買って損したということはない。買ったといっても、ほとんど譲ってもらったようなものだから、大したお金は出していないけれど、ともかく、出したお金の分の仕事はしてもらっている。
 今日の夕食は買い置きのカップ麺にした。食材も買いためてあるし、自分で料理をした方がいいのは分かっているけれど、どうしてもやる気が起こらない。こうしてずるずる自分の意志の弱さに甘えてしまうのは、一人暮らしをしているせいだろうか。
 電気ケトルで沸かして置いたお湯で手早くカップ麺を作って食べる。食べ終わった後は、容器をシンクですすぎ、ケトルの中に余ったお湯でインスタントコーヒーを淹れた。コーヒーを淹れるのは、執筆作業をする時だけ。つまり私は、今日こそは逃げずに小説を書こうと立つことができたのだ。それが、自分が夢をあきらめかけているという事実から逃げ出した結果だということは分かっていたけれど、今はとにかく手を動かして、自分の内面から目を逸らしたかった。
 窓際に置いたデスクの上に鎮座している銀色の冷たいノートパソコンを開く。電源ボタンを押しても、画面はすぐには点かない。このパソコンは私が大学生の頃から使用しているものだから、最近のそれと比べれば、機能も年季もまるで違う、ほとんど骨董品レベルの代物だ。事実、使えるワープロソフトも今のパソコンでは使わない、というより古過ぎてもはや使えないようなものが入っている。コンセントに繋いでおかないと充電はすぐに切れるし、いつまで経っても起動画面は表示されない。もうとっくに寿命を迎えているこの老体を、それでも使い続ける理由が、買い替える経費や機能面の問題ではなく、単なる愛着だというところに私の悪い部分が表れていると思う。私はあまりなにかに熱をあげない代わりに、一度執着したものを諦めることのできない人間なのだ。美典は私のそんなところを、海に喩えて褒めてくれるけれど、正直、私は自分のこういうところは好きではなかった。逆に、女手一つで姪っ子を育てながら、その暮らしを幸せだと言い切ることのできる彼女の、そういう、今手の中にあるものを愛することのできる、慎ましやかな性格が眩しかった。同時に、私が嫌いな自分を、できるだけ良い形に翻訳して言葉にしてくれる感性も羨ましかった。彼女が小説を書いていたなら、きっと私の作品よりももっといいものを書いたんじゃないだろうかと私は常々思っている。
 パソコンの画面上に、ようやくパスワードを打ち込むための欄が表れた。もう手癖になった、自分の名前と生年月日の組み合わせの英数字を打ち込むと、今度は真っ黒な沈黙の代わりに、水色の画面の中心にぐるぐる回る輪のマークが表示された。ここからがまた長い。変わり映えしない画面を眺めることに飽きて、私はパソコンから少し離して置いていたコップを手に取った。口から湯気を漂わせているそれを顔に近づけ、二三回、息を吹き込む。吐息が跳ね返されて生まれた微風がなめらかに頬の上を通り抜けていく。そうして、少し冷ましたコーヒーを一口だけ飲んでから、私はぼんやりと、コップを傾ける度に穏やかに波打つその表面を覗き込んだ。吸い込まれるような深い色の中には、疲れた顔をした女が一人。くたびれたその女と見つめあううちに、口に残った後味が、私に一本のスチール缶の冷たい手触りを思い出させた。

次回 小説『雨下の向日葵』放課後ビッグバン①|明日美言 (note.com)

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