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小説『雨下の向日葵』放課後ビッグバン①

読んでいただいてありがとうございます。この作品は続けて投稿している小説の第三回になります。
前回→小説『雨下の向日葵』2018年春―②|明日美言 (note.com)

 私はコーヒーが嫌いだ。苦くて、そのくせ飲めないと、子供だお子様だと馬鹿にされるからだ。コーヒーが苦手だというのは、例えば人参が嫌いだとか、トマトが嫌いだとかいうことと何も変わらないはずだ。なのにただ偶然苦手なものがコーヒーだったというだけのことで、他のものが飲み食いできない人よりも馬鹿にされることには到底納得できない。
 中学生の時に初めて飲んだあの味を舌の上におぼろげに蘇らせて、思わず顔をしかめる私の髪に、初夏の風が吹いた。私が高校二年生になってから、もう一か月半も経ってしまっている。まだのりが効いているおかげで皺も少なく、パリっとしたシャツを着た、どこか背伸びをした中学生のように見える新入生を迎える行事も粗方終わった、五月半ばの校内は、徐々に元の落ち着きを取り戻しつつある。そんな校内の空気とは反対に、季節は少しずつ春から夏へと移り変わり始めている。昼間はもう、四月よりも大分暑い。それでもこうして夕方になると、勢いの落ちた日の光からは熱が抜け、辺りを通り抜けていく風もひんやりとした感触になる。
 東西二つの校舎と、南に建てられた体育館に囲まれた校庭は、常にどこかに日陰ができるようになっていて、今は西日が校舎の肩に遮られて、東校舎の壁に鮮烈にオレンジと黒の対比を作りだしている様が正面に見える。
 ベンチに座ったまま、小さくため息を吐いて、手の中に納まっている小さな現実へと目を落とす。冷たいその缶を傾けて、腹に書かれた、始めから知っているその商品名を意味もなく確認する。ブラック。恐ろしい響きだ。ベンチの側の白い自動販売機でこの缶コーヒーを買ってから、もう五分くらいは経っただろうか。私は未だ、この缶のプルタブに指をかけることすらできていなかった。
 ことの発端は、今朝の母との喧嘩だった。私が洗面所で髪をとかしている時に、母に、後ろで父が待っているのだからさっさとしなさい、と叱られたのだ。素直に聞き分ければよかったものを、いつもは何も言われないのに、今日になって突然そんな風に言われたことへの驚きを、反抗期真っただ中の精神が怒りに変換してしまって、鋭く嫌味を返してしまった。そこからは口論になって、次にほとんど罵り合いにまで突入しかけたところで、父の仲裁が入った。自分が悪いのだということは始めからわかっていたし、家に帰れば、素直に母に謝ろうという気もある。だというのに、靴を履き替えて校舎の外に出ても、足がどうしても校門の方へ向かなかった。どうせ帰るのが嫌なら、適当に校内で暇つぶしでもしよう、と考えて、目に留まった自販機に並ぶ黒い缶を、そういえば私ももう高二なのだから、案外知らない間に飲めるようになっているかもしれない、という楽観的な予想のままに買ってしまったのが運の尽きだった。ごとん、と音を立てて吐き出されたその缶を、いざ実際に開けようとした途端、急にしり込みしてしまって、さっきから開けよう開けようと思いながら、ずっと手の中で缶をもてあそんでいる。手のひらで転がすと、肌の温度が移って生ぬるくなった鉄の硬い感触の奥で、ゆらゆらと液体が揺れるのが重みの変化で分かった。
 カーン、と、金属バットがボールを打ち上げる音が、校庭の気怠い空気を切り裂いた。その音に続くように、校舎の隙間から流れ込んだ風が、緑の服に模様替えを済ませた桜の枝葉をさあっと鳴らした。その風を胸いっぱいに吸い込み、冷たさが肺の中で巡るのを感じた後で、覚悟を決めて、私はゆっくりとプルタブに指をかけた。缶は静かにその口を開いた。中を覗いてみても、何も見えない。ただ真っ黒い闇が広がっているだけだ。観念して、そっと缶に口を添え、最後の躊躇いを振り払って一気に缶の尻を持ち上げた。液体になった闇が音もなく、口の中に滑り込んでくる。ごくりと、口に含んだそれを飲み干す。忌々しいブラックコーヒーは、そのたった一口で私の味覚を滅茶苦茶に蹂躙した。げぇ、と口を開き、酸味のある後味を少しでも早くかき消そうと、初夏の清浄な空気を口に取り込む。熱すぎるものを口に含んでしまって、舌をやけどした時もこんな感じになるだろう。はぁはぁ小刻みに生きを吸って吐いてしている様は、傍から見れば滑稽以外の何でもない。
 結局、私はその一口で戦意を完全に喪失し、缶の中身は近くの水道に捨て、口を蛇口の水で洗い、空き缶は自販機の横に備えられたごみ箱にねじ込んだ。お金を無駄にしたという後悔と、飲み物を捨てたという罪悪感と、鉄の匂いの潜む水道水の後味とを引きずって歩く。
 校舎の中を散歩でもしよう、とさっき通ったばかりの下駄箱の前でまた上靴を履き、あてもなく、白い蛍光灯の不自然に清潔な光の下を歩く。そのうち、気が付くと自分の教室の前に立っていた。自分の中に刻み込まれた日々の習慣の力を一人思い知らされたような気がした。明かりの消えた教室は、暮れの薄暗さに侵されている。戯れに、ドアを引いてみる。私の予想通り、ドアは軽い手ごたえと共に開いた。施錠されていなかったということだ。一応、教室の鍵は日直か、最後に教室を出た生徒かのいずれかが閉めるという規則があるのだけれど、今ドアが開いた通り、厳密に守られてはいない。開いたドアの敷居をまたぐことはせず、黒板に書かれた、薄闇に溶けて輪郭が曖昧になっている今日の日直の名前に目を凝らす。白のチョークで書かれた名前は、遠野だった。毎日きっちり髪型を整えて来る男子生徒だ。確か、サッカー部員だったはずだから、今もグラウンドで走っているだろう。本当なら、授業の後で、その日の日直が黒板の名前を翌日の担当に書き換えなければならないきまりになっているけれど、遠野君はどうやらそちらも守ってはいないらしい。
 遠野という名前は私に、休み時間の教室の騒がしさに囲まれながら、一人手元の小説に目を落としている自分を思い出させた。美しい文章に目を這わせていても、周囲の喧騒を完全に断ち切ることはできない。自分では読書に集中しているつもりでも、無意識のうちに音は、私が私の身を守るために作り出した無言の空間の形を洗い出して、その偏狭さをあらわにしてしまう。孤独は喧騒の中でこそ、一層その存在を強く主張するものなのだ。
 私の人付き合いの無さは、何も今に始まったものではない。小さい頃から人と話すのは得意ではなかったし、十歳頃から急激に伸びた身長を、周囲にごぼうと呼ばれからかわれてからは、それが一層顕著になった。高校になると、中学の時に私と周囲の間に挟まって、私が一人にならないようにと気を回してくれていた親切な幼馴染たちとも道が分かれてしまった。だから、この四高(正式には、府立山衣第四高等学校。第四というくらいなのだから、一から三までがどこかにあるのだろうけれど、私は知らない)に入学した時、私は実に小学校への入学以来、約十年振りに、独力で友人関係を構築しなければならなくなったのだ。とはいえ、私も一人になるのは恐かったから、入学当初は、友人を作ろうと試みた。学校という、外と塀で切り分けられた小さな国の中で、孤立した女がどれだけ弱い存在なのかということは、わかっているつもりだった。
 最初のうちは、多分、私もそれなりに上手くやれていたのだと思う。入学したての頃はまだお互いに手探りだったから、案外、私に話しかけてきてくれる人も多かった。自分から話しかけるのが苦手な分、そうして話しかけてきてくれる人には、しっかりと応えて、なるべく会話が長く続くよう努めた。それまで興味のなかった流行りのドラマを家のテレビで勉強したり、下校途中に本屋で、派手な格好の都会っ子が表紙を飾っているファッション誌のページをめくったりして、翌日の会話のための下準備も欠かさなかった。その努力のかいもあってか、丁度一年前の五月の頃には、ある程度決まったメンバーで昼食をとったたり、一緒に下校できるようになっていた。けれど、教室の中に例の、あの見えない階層が生まれてくるに連れて、段々とそうもいかなくなってきた。私は、生徒たちの繋がりの中に起こる波が、どれだけの力を持って周囲の生徒を巻き込んでいくのか、そして大勢を飲み込んだ波が、どれだけ大きなうねりになるのかを分かっていなかった。皆が赤だと言えば、青は赤になったし、皆が黒だと言えば、白は黒になった。それを私は迂闊にも、いやいや青は青で、白は白でしょうと馬鹿正直に笑ってしまった。それは、中学の頃から特定のグループに所属できず、親切な一部の生徒を介してしか人と関係を結んでいなかったがゆえの、いわば経験不足に由来する失敗だったのだと思う。私には腹芸ができなかったのだ。腹の底に抱いた感情と、声に出す内容を別にすることができない。だから、表面的な同意を求められている場面でも平然と異を唱えることができてしまった。形だけでも頷いておくということの重要さを理解できていなかった。形の合わないピースを枠からはじき出す力は、木が人の目を盗んで成長していくように、音もなくその手を伸ばしていた。気付いた時にはもう遅かった。いつも四人で食べていた昼食も、もともと約束をしていたわけではなかったから、ひとたび私抜きでの集まりが始まってしまうと、私はもう、そこに混ぜてもらおうとする勇気を発揮することもできなかった。
 波に乗って一緒に揺れることのできない私は、誰もいない砂浜へと打ち上げられてしまったのだ。もう一度、海に戻ろうとしても、波は強く私を押し戻した。一人ぽつんと、その寂しさの中に立っていると、段々その状況に慣れて、足にまとわりついて鬱陶しかったはずの砂のざらついた感触にも親近感を覚えるようになる。すると今度は、何をあんなくだらないことをやっているのだろう、と、波に乗る生徒たちの姿が阿保らしく、俗っぽく見えてくる。そうやって、徐々に私は身も心も孤独でいることに適応していった。せざるを得なかった。休み時間には、昔から好きだった読書に勤しむようになった。三十そこらしかいないクラスメイトと無理をして付き合うよりも、綺羅星の如く輝く、沢山の文豪たちの文章を読み、彼らの作品と友人でいることの方がよっぽど楽しく、効率的だと思うようになった。そうして、ついに友人と呼べる生徒のいないまま、私は二年生になった。新しく組み直されたクラスは、去年とは随分違う顔ぶれだったけれど、今度はもう、友達作りに勤しむことはしなかった。人と関わろうとするには、私はもう、孤独に慣れ過ぎていた。
 教室に足を踏み入れるのはなんだか気が引けて、私は開いたばかりの扉をそのまま閉めて、すぐにその場を後にした。鍵は閉めないで置いておいた。親しくもない相手の尻を丁寧に拭ってやるほど、私はお人よしではない。
 鬱血した気持ちをどうにかしようと、また歩きながら暇つぶしの種を探していると、少し進んだ先、トイレの前に掲示板があった。いつもなら目もくれずに通り過ぎるところを、退屈が足に絡んで、何か面白い物でも貼っていないかと立ち止まった。けれど、貼ってあるポスターの内容はどれも、うがい手洗いだのウイルスだの、小学校にもありそうなくだらない内容のものばかりで、私はまたすぐに止めていた足を動かし始めた。二階へ降りると、どこからか掛け声のようなものが聞こえてきた。声の響く廊下を進むと、途中、声のする方から歩いて来る体操服姿の生徒と何度かすれ違った。校舎の中で何をしているのだろう、と思いつつさらに進むと、廊下の端の教室で演劇部が練習をしていた。教室の中にいる全員が体操服を着ていたから、さっきの生徒もここの部員なのだろう。もしかすると、春に新しく入った一年生の練習なのかもしれない。私も何か部活に入っていれば、こんな暇つぶしをすることもなかったかもしれない、という想像が、何故かさっきのコーヒーの後味と結びついて口の中にじわりと広がった。あめんぼあかいなあいうえお。教室を通り過ぎた後も、しばらくは廊下に木霊する、発声練習の声が耳にまとわりついて離れなかった。
 二階の端には図書室があるけれど、中には入らず、指一本分、隙間の開いたドアから漏れる話声の前を素通りした。司書のお婆ちゃん先生が生徒に甘すぎて注意というものをしないから、放課後の図書室はベラベラとライトノベルの話をする文芸部のたまり場になってしまって、部外者は入りづらい。と、図書室の中の景色を想像したところで、以前昼休みにその図書室で聞いた噂話を思い出した。聞いたと言っても、私に噂を教えてくれる友人などいないのだから、本を選んでいる時に、裏の棚を見ていた生徒の話が「偶々」聞こえてしまったというのが本当なのだけれど、とにかく、その噂というのは、こんな中身だった。
 いつの頃かは分からないが、あるクラスでいじめがあった。当時大学受験の近づいていたそのクラスには、一人だけ、ずば抜けて成績のいい生徒がいた。その学力の高さ故に、彼女は早くに有名な国公立大学への切符を手に入れ、しかしそれを妬んだ他の生徒にいじめられ、自殺してしまった。その少女が自殺したのが、西校舎の屋上であり、そこに繋がる階段には、今でも彼女の霊が時折姿を見せるという。
 私は幽霊も未確認飛行物体も都市伝説も、オカルトの類は何も信じていないから、普段ならこんな話は「あほらし」の一言で片づけていたのだけれど、今日は事情が事情だ。幽霊が本当に出るのか出ないのか確かめてみるというのは、これ以上ない恰好の暇つぶしだった。それに、あの階段の一番上は何もないし人もいないだろうから、実は前々から、休み時間に読書をする場所として使えるかもしれないと目をつけていたのだ。万が一、幽霊が姿を見せたなら、それはそれで面白いし、そうでなくとも、あの場所が使えるのかどうか、検分しておくいい機会だ。

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