見出し画像

梅雨の月から想うこと。

7月はじめの週末。

梅雨も折り返し地点かなと思う今日この頃。

ジメジメお洗濯で始まる週末はあまり気分が晴れない。本来、きれいにする行為である洗濯はスカーッと真っ青に晴れた空の下で干すことこそが、醍醐味だと思っている。

梅雨のこの時期は、洗濯する週末が晴れていたらラッキーだと思うし、7月3週目の海の日ら辺の梅雨明けが早く来ないかなーという気持ちで部屋干しをする。

こんな感じで、わたしはとにかく「梅雨×お洗濯」になると少しネガティブな気分にもなる。(多くの人がそうだよなぁ...)
けど単純に雨の日の少し感傷的な雰囲気は好きだし、1年の中で必ず6月-7月に訪れる季節としての梅雨は、むしろ好きかもしれない。

というか、梅雨を含む日本の四季が好き。


四季をテーマに共感して想像できる文化がある

‘’もうすぐ梅雨あけるかなー。梅雨明けしたら海へ遊びに行こう”

“今年のさくら開花は卒業式に重なるかな~”

“紅葉をみにいこうよう...”


こんな季節を表現する言葉がたくさん存在し、1つの季節の中で様々な会話が交わされる。定型文のように言葉が表す意味は共通言語となっているものも多い。さらに言葉に奥行を持たせる効果もある。

四季がある日本だから生まれた言葉や表現だ。

さらに地理的に縦に長いゆえ四季や四季を象徴するものに微妙な差異が生まれ、そのことを会話の話題にしたり、行動のきっかけにしたりもする。例えば、さくら前線・梅雨前線は象徴的な言葉の1つ。四季という日本人として象徴的で移ろいゆく事象に感情を重ねて、共感し、想像できる文化がある。 


古典から想う四季に寄り添う心

この文化は昔から日本人がしっかり営んできたことで、日本最古の歌集である『万葉集』にも四季がテーマとなって集められた巻がある。

『万葉集』全体としての和歌構成は次の3つにカテゴライズされている。

①人を愛する恋の歌である「相聞歌」、②死者を悼む歌である「挽歌」、 ③それ以外(旅情や自然や宮廷等)の「雑歌」

四季のテーマは「雑歌」に入っている。

それにしても、恋愛と死とそれ以外という区分は潔くとても本質的な分け方で、わたしは大好きだ。


ちなみに、万葉集に収められている歌の種類である和歌や短歌は季語を入れなくてもよい。江戸時代にできたとされる俳句は基本的には季語を入れなければいけない。

季語を入れることを絶対としない、和歌や短歌にも季節を表現する言葉や意味を織り込むことは多く、それだけ四季が日本人の心・感情に寄り添ったものであることが分かる。


雨、梅雨の歌の意味

万葉集の4516首の中で、例えば雨についての歌は143首ある。意味としては、主語が男性で‘’雨で女性のもとへ通えない‘’、主語が女性で‘’男性が雨を理由に来ない‘’と嘆く切ない歌として詠まれることが多い。

雨降らず、との曇る夜の、ぬるぬると、恋ひつつ居(を)りき、君待ちがてり
(雨が降らないですっかり空が曇った夜のように、鬱々とした湿っぽい心持ちで恋しく思っていました。あなたを待って。)            by 阿倍広庭



ぐーっと時代を進ませて俳句の巨匠、芭蕉が残した俳句。

降る音や耳も酸うなる梅の雨 (降る音を聞いて梅の酸っぱさを耳で感じる)


梅雨は梅の実が熟す時期からそう言われるようになった一説がある。その由来から、梅雨の雨音が聞こえる聴覚と連動して味覚を刺激させられるという、なんとも感覚フルネスで知的な一句...

「梅の雨」も梅雨の季語の1つでその他、
長梅雨・走り梅雨・迎え梅雨・送り梅雨・戻り梅雨のような梅雨の種類や時期に沿った言葉もあれば、梅雨夕焼け・梅雨の雲・梅雨の月・梅雨の星のように、雨がずーっと降り続いている1日のうち、ある時間を捉えた言葉もある。

梅雨の月... 

もやもやしていて、なかなか晴れない。けど、時折ぱっと明るい光が垣間見える。晴れる直前だけど、1番不安で葛藤のあるような様子。(個人的見解) 

あーなんてロマンチックなんだろうか。


言葉の中に宇宙がある

季語含めた四季を交えた言葉は、日本人と四季の関係性や歴史の深さを思う。言葉の中に宇宙を内包させるように、四季と連動した意味を込める。相手は想像してその世界の広がりや共感を感じる。今も昔も重要な手段、表現。

四季がある日本、そしてそれを楽しめる豊かな文化・風土・言葉がある日本人でよかったと感じる梅雨な夜。


来週は七夕。

梅雨の困難な時期にあたってしまった、2人。今年は会えるかなー。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?