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【ほめ2】家族の役に立ちたくて

自分の人生を褒めちぎって、恨みも呪いも褒めて浄化するこの企画『根暗のほめ道』第2回でございます。

サラっと前回のあらすじをさらおう。
わんぱくに生活してきた私、小学6年生は新潟県中越地震の次の日誰もいない集落で美しい朝焼けを目撃。
今思うと良くも悪くもあれが人生のターニングポイントになった。
さてこれから私の人生がどんな風にビューティフルに輝くのか!

震災が起こり、しばらくは現状復旧に時間が割かれた。
学校もお休みになったので、父親と兄と家を掃除したり、散乱したものを片付けたり。
実家は築年数がだいぶ経っていて、そこかしこにヒビが入っていた。
兄と共に家のあちこちの床でビー玉を転がしては「傾いた!」などと言っていた。我ながら無邪気。

震災があったその年の冬は、被災地に追い討ちをかけるかのような大雪が降った。実際何軒かお寺や古いお家などが潰れてしまったらしい。
家も潰れたら大変だ。兄と父親はせっせと雪かきをしていた。
「私も手伝いたい!」
必死に父親にお願いしたが「お前は女だから駄目だ」と一蹴されてしまった。

私は自分ばかりが役立たずのように感じられ悔しかった。
家族の役に立ちたいと本気で思えたその心は称賛に値するし、私は私で母親がいない中晩御飯を作ってみたりと頑張っていたので全然悔しさを感じる必要などないのだ。
でも、当時の私は自分自身が無価値なもののように感じられ、雪が降りしきる日々の中自室で泣いて塞ぐ日が増えてしまった。

基本男尊女卑で古い価値観を持つ父親なので、私と兄が遊んでいると私だけ家事をしろと呼びつけて怒鳴るということはしばしばあった。
今回も「雪かきは女がする仕事じゃない」と思ってのことだったのだろう。でも、父親も優しいところがある。
私が親子丼を作ったとき、だし汁の意味がわからずみりんをだしだと勘違いしてみりんをドバドバ入れた親子丼を作ってしまったことがあった。
父親はその、みりんの味ばかりの親子丼を食べて「みりんの味がしてうまい」と言ってくれた。絶対無理していたと思う。
父親は気まぐれに怒鳴って怖い印象があったが、私の料理をけなすことは決してしなかった。よくわからないままフライパンの油を拭き切ってチャーハンを作っても「もうちょっと油を入れた方がいいな」と穏やかにアドバイスをしてくれた。
いつも兄を贔屓して私ばかり叱る父親ではあったが、昔からどことなく憎めないのはそういうところなんだろうと思う。

話は戻って。
自分は役立たずなのだと思うようになってしまった私は、学校にいると「家に帰りたくない」と漏らすことが増えた。
同級生は心配してくれたが、私はこの感情や経緯を説明する言葉を持ち合わせておらず、空回りし結局一人で抱え込んでしまっていた。
昔から本を読むのが好きで、日記を書くのは得意だったが発表ごとなど喋ることは全くの不得手だった。

当時の同級生はいじめたりしなくて非常にいい子たちが集まっていたと思う。10数名しかクラスメイトがいなかったので皆の気心が知れていたのはその一因かも知れない。本当に幸運だった。

更に言えば誰か現場を見て私にできることを示したり、そういったメンタルケアをしてくれる人がいたなら良かったのかも知れないが、そういった存在はおらず。
この漠然とした辛さを周りにどう表現したらいいかわからず、ひたすら落ち込んでいた。

夏から入院していた母親が2月頃退院し帰ってきたのだが、私はもう心を閉ざし切ってしまい、消沈した調子のまま中学生になるのであった。

私、どう考えても優しすぎるし真面目なんだよなぁ。
「手伝わなくていいんだ、ラッキー!」くらいに思っても全然いいのに、齢12歳にして人の役に立ちたいと強く願っているその心…まぶしくて後光が射しちゃうね…。
同時に、自分がやりたいことを絶対にしたい!という頑固さも感じられる。
うん、今と何ら変わりないね。
そのままの私で輝ける舞台探してこ。

では、また次回お会い出来たら嬉しいです。

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