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尾崎豊と欅坂46


尾崎豊と欅坂46。
僕は、似ているところがあると思っています。

こんなことを言うと、両者のファンから色々言われそうです。

尾崎ファンからは

「尾崎が命を削って作った曲を、アイドルなんかと一緒にするな」

と言われそうだし。

欅坂ファンからは

「尾崎豊って誰だよ。そんな昔の歌手知らないよ」

と言われてしまいそう。

まあまあそう言わずに、ちょっとだけ話を聞いてください。


尾崎豊と聞いて、あなたはどんなイメージを思い浮かべますか?


「盗んだバイクで走り出す」
「夜の校舎 窓ガラス 壊して回った」

有名な歌詞ですね。

尾崎豊は、大人や社会に反発し、過激なメッセージソングを歌う人というイメージで語られがちです。

ですが、はっきり言って尾崎の作品の中でそういう路線の曲は「15の夜」「卒業」のたった二曲しかないのです。

他にも、大人や社会への違和感や怒りをテーマにした曲はいくつかありますが、それらは必ずしも、過激な歌詞で「不良の代弁者」のような作風の曲というわけではありません。

尾崎が生前に残した71曲を10年以上聴き続けている僕が言うのだから、これは間違いないと自信を持って言えます。

そもそも「15の夜」「卒業」にしても、犯罪や非行を賛美するような曲ではありません。

バイクを盗むのも、窓ガラスを割るのも、十代の少年の鬱憤とした怒りとストレスを歌詞として表現する比喩に過ぎないのです。

ちゃんと、尾崎の曲の歌詞をよく読んでいる人ならわかってくれるはずですよね。

僕は、尾崎豊は生粋のラブソングメーカーだと思っています。

世間的に有名な彼のラブソングは
「I LOVE YOU」「Oh my little girl」の二曲でしょうか。

実は、まだまだあるんです。

「ダンスホール」
「Forget-me-not」
「米軍キャンプ」
「ロザーナ」
「シェリー」
「ドーナツ・ショップ」
「群衆の中の猫」
「失くした1/2」
「街角の風の中」
「MARRIAGE」
          ・ 
          ・
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とにかくラブソングの名曲がいっぱいあります。

尾崎のラブソングは、優しくて、あたたかい。

でも、悲しい。

彼はあまり、順調な愛や恋を歌いません。

その代わり、「冷たい街の片隅で寄り添う二人…」みたいなラブソングを書かせたら右に出る者はいないでしょう。

もっと尾崎のラブソングにスポットが当たっていれば、彼の評価もまた違っていたと思われます。

尾崎豊自身も、本来は、世間で思われている「十代の教祖」のようなイメージとは違う人物だったそうです。

ステージを降りれば、気さくで、明るい好青年だったと言います。

でも歳を重ねるごとに、形作られた自身のアーティスト像とのギャップに苦しむことになりました。

尾崎自身が二十代の大人になっても、世間は彼の歌に「十代の代弁者」としてのメッセージを求め続けました。

尾崎の後期の楽曲には、その苦悩の跡が見てとれます。

でも難しいところ。
やっぱり、過激なメッセージソングを歌うアーティストというイメージが、彼を有名にした側面もあるはずですから。

結局、彼は26歳という若さでこの世を去ってしまいます。

若くして亡くなったことで、彼は「十代のカリスマ」というイメージのまま、現代まで語り継がれることになります。


約30年後、これと似た誤解のされ方をしたグループがいました。

欅坂46です。

欅坂46は、AKB48や乃木坂46とはまた違う、独自の世界観を持ったアイドルグループでした。

学校や社会の既成概念に対する違和感や不満を表現した曲も、少なくないですよね。

ただ、彼女たちの場合はアイドルグループ。

大人が作った曲を歌い、大人が決めた振り付けで踊る。

それは一種のショーであって、純粋にメンバーだけから発せられたメッセージソングというわけではないでしょう。

そこはやっぱり、シンガーソングライターだった尾崎豊とは違うところ。

でも、欅坂46に対する称賛と批判の声を見ていると、やっぱりどこか尾崎に対するそれと重なる部分があります。

誰が名付けたのか、いつからか、欅坂46に対して、「笑わないアイドル」というキャッチコピーを目にするようになりました。

でもファンなら知っているはず。
全部が全部そういう曲なわけではありません。

「世界には愛しかない」
「二人セゾン」
「風に吹かれても」
「手を繋いで帰ろうか」
「危なっかしい計画」
            ・
            ・
            ・

明るくて前向きで、素敵な曲も多い。
そこでの彼女達はよく笑っていました。

でもやっぱり世間における欅坂46は、「サイレントマジョリティー」、「不協和音」、「ガラスを割れ!」のような過激なメッセージソングの印象が先行していました。

欅坂46の場合、あえて運営がそういう路線で売り出していった側面も大きいですけどね。

でも、メンバー全員がそういう路線をやりたくてアイドルになったわけではないでしょうし、世間から求められるイメージに応え続けなければならない葛藤も少なからずあったんじゃないでしょうか。

過激な曲は良くも悪くも一人歩きしやすい部分があります。

メディアにとっては、やっぱり強烈なメッセージソングを歌う歌手にはスポットを当てやすいのでしょう。

わかりやすいキャラ付けをしやすいのでしょう。

だから注目はされます。

でも、あまりにそのイメージが定着してしまうと、もう容易に他の路線に舵を切ることは出来なくなってしまいます。

結局、欅坂46は8枚のシングルを出した後、改名という形で一旦活動を終えました。

メンバーはそのままで、櫻坂46として新たなスタートを切ったことで、欅坂46が背負っていたイメージをリセットすることができました。

ただ、それと同時に、欅坂46に向けられていた期待と関心を捨てて再出発をしなければならないというリスクもありました。

今でも、欅坂時代の楽曲を懐かしむ声が多く聞こえてきます。

尾崎豊は、20代になってから結婚し、父になりました。

彼の後期の作品の中には、妻や我が子への愛を歌った曲もあります。

きっと尾崎は、「十代の教祖」というイメージから少しずつ脱却する道筋として、「家族愛」を一つのテーマにすることもできたはずです。

彼が若くして亡くならず、その後も作品を作り続けていれば、若い頃とはまた違った歌がいっぱい聞けたかもしれない。

彼の死が惜しくてならないです。

それでも、「尾崎は初期の作品の方が良いね」という声もよく聞きます。

やっぱり、強烈なメッセージソングは、人を惹きつける力があるのだと思います。

諸刃の剣ですね。

何が正解なのでしょうか。


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