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自分が向きたい方へ歩く

何かをやろうとする時、「そんなことは出来るのか?」と引き止めるような声がしたり、
やりたくないと思うことに対して、「我慢してやるべきだ。みんなそうしている」という強迫的なは考えが浮かんだり、
これからやろうとしていることに対して、失敗して恥をかくような夢を見たりと、
心の中で、black akbalが、とことん邪魔をしてきます。
難しいのは、その心のささやきが、本当に自分を守るものなのか? 単なる嫌がらせなのかがわからないことです。
これは、自分の意思で動こうとすると、「そんなことをやったら、失敗する」と脅されたり、逆にやりたくないことを強制されてきた影響なのでしょうね。
フットワーク軽く動いてしまって、とんでもない結果にならないかヒヤヒヤしたり、じっと様子をうかがっていたら、他の人に大きく遅れてしまったりで、どちらにしても、失敗したように感じてしまうのです。

世の中をリードしていく人には、多くの非難の声が上がります。
フィギュアスケートの羽生結弦さんが、先日スピード離婚し、その理由を、奥さんやその親族、自分の親族までもがマスコミや似非ファンの監視や中傷の対象になっていたからとのことでした。
羽生さんは、ただ自分の好きなことに集中して取り組み、自分の力で頂点に上り詰めた人です。
大勢の民衆が選挙でリーダーに選んだわけでもない。ファンは勝手にファンになっただけなのに、有名だというだけでそんな嫌がらせに遭って、人生までも狂わされてしまったのです。
この出来事は、世の中で、『大衆』の意図など、誰にとっても正しいといえるものなど無ければ、むしろ個人に犠牲を強いるような悪質なものが多いという証拠かもしれません。

『私のやっていることは正しいのか?』の判断を、大衆、そうは言わなくても多数派に委ねること、そのものがおかしいのかもしれません。
羽生さんを非難する意見の中には、「有名人なのだからそんな境遇になるのは当たり前。大切な人を守れるような力(根性?)が無いだけ」というようなものも見かけました。
どこまで行っても、何をやっても、非難したい人は非難するんだ、本人の苦しみを思いやるどころか、さらに傷を広げて愉しむ悪辣な人間がいるものだとガッカリしました。

今の日本の国民性は、世界でいちばん低俗なのではないでしょうか?
その原因は多数あると思いますが、犯罪として立件されないところを上手くすり抜けて、人の精神を殺すような人がウヨウヨいます。
多数派にそういう人間が紛れていて割合を増やしていけば、人を追い詰めるような行動が、多数派の中で『正しい』となっていってしまいます。

実際、学校などの集団でのイジメは、いじめられている人が、本当に悪いことをしたという例はほとんどなく、多数派の向いている方向からズレていたという瑣末なものがキッカケだったりします。
『正義』とされるものから全く遠い、それを咎めたからと言って、誰の利益にもならないものを、大勢が非難して吊し上げるのです。
この行為こそ、正義とは真逆の『悪行』になっていることすら、自覚できている人が少ない。

私が毒親の餌食になったのは、こういう世の中になっていくという予兆だったのかもしれません。
いや、私と同じように毒親の被害に遭った人が多いことで、世の中全体が疑心暗鬼になってしまったのかもしれません。
現代では、大衆に判断を委ねて物事を考えることが、間違いどころか、危険とすら言えるのかもしれませんね。

自分の中の『正義』を信じて、1人でもそれを正しいと信じて貫くような強さが求められているのでしょう。
大事なのは、考え方を一致させることではなく、多様な考え方を認め合って、建設的に未来を想像していく『誠意』なのかもしれません。

自分の向きたい方向は正しいと信じて歩く。
途中で違うと思ったら、向きを変えればいい。

たったそれだけのことなのでしょう。

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