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この世の立ち位置

身体はトラウマを記憶する

の内容は、私の状態とこれまで起きてきたトラブルの原因を理解するのに非常に役立ちます。
例えば、それほど深刻な虐待を受けた記憶がないのに、これほどまでに自分に自信が無いのはなぜなのか?
例えば、私が独断で行ったことに対して、あらゆる人から非難を浴びやすいのはなぜなのか?
例えば、1人で居る時も不安であったり、人と楽しい時間を過ごしていても離人感があったり悲しかったりするのはなぜなのか?
その答えが、後天的に作られた神経回路にあったということが解説されています。

人間には、人と交流する『本能』がデフォルトで備わっています。
それは気分よく過ごしたいとか、人生を楽しみたいという意欲の問題ではなく、個体では生存できないので、多くの人間と交流することで生存が可能になるという、生死が関わった大問題なのです。
この欲求は、生まれた時から、いや生まれる前の遺伝子レベルから備わっているものなので、それを意識的にコントロールして無いものにしようとしても無理なのです。
この交流のやり方が、現代ではあまりにも多様で複雑になっているし、必ずしも本人が生き抜くためのメリットを得られるものばかりでは無くなっていることが問題なのです。

赤ん坊がまず交流を求めるのが母親です。
赤ん坊の交流の仕方ははじめはとてもシンプルで一方的です。それに応じる母親の交流の仕方によって、だんだんとその子の交流の仕方が確立していく。つまり母親をコピーすることで人との関わり方を学び、それを元に社会の立ち位置を決めていくのです。

さて、私の場合。
おそらく生まれたての頃には一方的に母親との交流を求めていたと思います。
生まれたての頃に母親が、私の求めにどのように応じていたのかは全く知る由もありませんが、おそらく2歳になる頃には非常に冷たく無機質な対応をしていたのではないかと想像できます。
まず、母親自身の口から、「言葉遣いの整ったお行儀の良い子に育てようとしたけど無理だった」というような話を聞いています。
それは単なる笑い話ではなく、まず原始的な交流を求める赤ん坊に対して、無謀な躾を試みようとしていたことと、自分の想像する子どもに育たなかったことでガッカリした=私の個性を心情的に受け付けられない、ということは事実なのです。
こうした母の心理が、私への対応にどのように影響したかは想像すればわかりますし、実際に病弱でよく熱を出す娘を離れに隔離したり、妹との対応の差が大きかったり、私が覚えるべきことを片っ端から取り上げていた記憶ははっきりとあるのです。

著者のデア・コーク博士は、6歳までに行われた不適切養育が、その子の神経回路の基礎を形作ってしまい、大人になって意識の上で自覚しても神経回路の特性を変えることは非常に難しいとしています。
日本でも、虐待などが脳の形を変えてしまうという研究が行われていますが、脳の変形以前に、あらゆる状況に対する反応のクセというものが出来上がってしまうのです。

母親に無視されたり、ぞんざいに扱われた私の神経回路の防衛反応は、一切の感覚を鈍感にして痛みを感じなくなる、いわゆる『フリーズ状態』に陥ることでした。
昔から、本当に怖い思いをした時には身体が固まってしまい、叫ぶことも出来なくなることがありました。
よくドラマなどで「きゃーっ!」と叫ぶシーンがありますが、「本当に怖かったら叫ぶこともできないでしょ!わざとらしい!」と思っていました。
しかしそれは私の神経回路の特性だったのです。
恐怖に出会った時、人はどうするかと言えば、立ち向かっていくか、逃げ出すかという反応をします。
これは人だけでなく、哺乳動物全てに備わっている原始反応です。
ライオンに襲われたシマウマは、必死に抵抗して逃げ出します。そうしないと喰われてしまいますから。また同じことが起きても同じ行動を取ることで生き延びることができるでしょう。
そうやって危機を乗り越えながら生きて行くのです。
しかし抵抗することも逃げることもできないと悟ったらどうするか?
おとなしく喰われるしか方法はありません。
この『喰われる』時にも、事切れる瞬間までシマウマは自分の身を守ります。それが全神経を麻痺させて喰われる苦痛を感じないようにすることなのです。
つまり『フリーズ』は、動物が命を終える時に苦痛をやわらげるための『最終手段』なのです。

本来なら、人間がこの安全な社会で生きている限り、『フリーズ』を発動する機会など一生ありません。
それなのになぜ、『フリーズ』を発動させ、常にその反応を繰り返しているのかと言えば、赤ん坊にとって親に見捨てられたように感じることが、ライオンに喰われる瞬間に等しい恐怖を覚えるからです。
それで本当に命を落としていたなら、本来の『フリーズ』の使い方なのでしょうが、本当に命を落とす状況では無いので、何度も何度も『今際の際』を体験していることになるのです。
闘争や逃走の反応とは違い、生きるための反応ではなく、苦なく死ぬための反応なので、フリーズを頻繁に発動している時は、生きる気力を失って亡霊のように存在しているのと同じことです。

親元から離れても、母が行ったように、私を拒絶する人が後を絶ちませんでした。
母が異常だったから、母と離れれば適切な人間関係を築ける人が見つかるはずだと思っていたのは大きな間違いで、親以外の誰かと接する時には親と接するよりも巧みな駆け引きが必要となります。一方的に甘える関係でも無ければ、双方にメリットが感じられなければ続かない、シビアな関係です。
親以外の人と接するには、親から教わった対人スキルを駆使しながらも相手の様子に気を配る必要があります。
そもそも親からも拒絶されてきて、人は怖いものなのだ。自分を攻撃するものなのだと刷り込まれてきているのに、そこまで気遣って交流する必要があるのか?
結局自分からも近づこうという気持ちが湧かないし、相手にとっても幽霊のような不気味な存在に映るので関わりたくないと思われてしまいます。
でも仕事などで関わらなければならない関係だと、私の闇を知られるのが怖くて、妙に明るい態度で接したり、無理をして人の役に立とうと力むので、鬱陶しがられたり、失敗をしてしまったりするのです。
こうしてまた、多くの人から拒絶されることになり、人と関わることがますます恐怖になっていきます。
母だけでなく、全ての人がライオンに見えてしまうので、もう反撃することも逃げることも考えられず、じっと喰われるのを待っているしかなくなってしまうのです。
異常な神経反応が、不自然な行動につながり、ますます人から拒絶されるようになる。
どうやっても負のループから抜け出せなくなってしまうのです。

ただ、この原因に気付いたことは大きいのです。
この本が出される前、またはこの本の元となった『ポリヴェーガル理論』が発見される前は、こうした負のループに陥った人たちを、精神病として括り、ますます社会から隔離して病状を悪化させることが行われてきました。
世の中に、トラウマを抱えた人など滅多にいるものではないとされていたので、本人の『ちょっとぎこちない接し方』は、本人の異常性質が問題だとされていたし、自己責任で治せなければ病院に行けと一蹴されていたのでしょう。
しかし、生まれた時から異常な精神を持っている赤ん坊などいないのです。
ということは、精神疾患は、生まれた時から6歳ぐらいまで近くに居た『親』あるいは『養育者』が植え付けたものと見て間違いないでしょう。
それも暴力などの顕著な虐待だけではなく、振る舞い、態度、言葉などで子どもを見限る行為も相当大きな影響を与えるということ。
何よりも、この世に生を受けた尊い存在を『要らないもの』として扱うその姿勢こそが問題なのです。

私のこの世での立ち位置は、冷静に考えれば、他の人と同等にあるのです。
しかし私を生んで育てた人の『きまぐれ』で、『この世にお前の存在できる場所はない』と思わされてしまったことで、大きく傷ついてしまいました。
それは意識の奥の奥の神経回路に深く入り込み、存在を抹殺される恐怖を回避しようと頑張っています。

『今のままで十分生きる場所があるからフリーズしなくて大丈夫』
ということをわからせ、自分の立ち位置を自分で見つけ出すためには、恐怖のために抵抗できなくなっている私の神経を、ポジティブに鍛えていくしかないのです。

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