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『お母さん』というアイコンを慕う

毒親なのに、母を慕う。
この矛盾した心理をどう解釈すれば良いのか、ずっと悩んでいました。

私の母が毒親だということを知るキッカケを与えてくれた人がいます。
もう何年も前に亡くなったのですが、私より5つほど年上のお姉さんのような人でした。
彼女の家も大変な家で、とにかく父親はDVがひどいうえに認知症も重なって、毎日家族に包丁を向けて暴れ回るような人。
母親はそんな父親に愛想をつかしながらも黙って耐えている。しかしそのストレスをぶつけるかのように、娘である彼女に冷たい態度を取る。
彼女は父親の行為に怒りを覚えると同時に、そんな父親を制御出来ない母親、自分に対して冷たく接する母親に、大変なストレスを感じていました。
その彼女の話を他人事のように聞いていた私に対して、
「あなたのお母さんも、うちと同じではないの?」
と教えてくれたのです。
その時は目からウロコでした。
その頃私は、学生時代からずっと反抗期を引きずっているような感じで、母が何か言うたびにイライラして逆上してしまうことに悩んでいました。自分でも『良い年をして』と情けなく思っていたし、母からも「あなたは冷たい」と言われたりして、落ち込んでいました。
今度こそは母に辛く当たるのはよそうと思うのですが、母と会話すると必ずと言って良いほど頭に血が上って冷たい言葉を吐き掛けてしまうのです。
大人なのに感情が制御できない
親に対して反抗ばかりする
そうやって自分を責め続けていた私に、
「お母さんが原因なんだよ」
「お母さんだからと言って憎んではいけないわけじゃないんだよ」
と教えてくれたのが彼女でした。

それから、母の、私に対する接し方を思い出していくと、あまりにも母親としての愛情に欠けていたことに気づき、本格的に母を憎むようになりました。
その憎しみを持つことで、自分はいけない人間なのだという思い込みを解消していったのです。

親を憎むというのは、倫理的にいけないことのように感じるのですが、実は自分を解放するために通らなくてはいけない道だったのです。
だから彼女の言葉で、私はやっと、自分の人生の出発点に立つことができたのです。

それからは、母への憎しみがどんどん増していきました。
このnoteにも書いてきたような理不尽な思い出がつぎつぎと蘇ってきたのです。
彼女とは、ツィッターのDMを通してやり取りしていたので、その思いが湧き上がって来るとすぐに彼女に伝え、彼女もそれを受け止めてくれました。
彼女の母への不満にも、私は心から同意できるようになりました。

そんな彼女が、『不治の病』に掛かってしまいました。病と闘いながらも、相変わらずパワフルに発信を続けていました。元気なうちは、親に対する不満をSNSなどで発信していました。
それ以外にも自分の創作した作品を公開するなど、精力的に活動していたのですが。
とうとう病状が悪化し、帰らぬ人となってしまいました。
もう余命わずかとなった時、彼女の発信は『母への感謝』が中心になっていきました。
最期はお母さんに看取られて亡くなったのですが、最後の発信が
「お母さんの子に生まれて良かった。ありがとう」
だったのです。

彼女の言葉がきっかけで、母への憎しみを強めていった私には、意味が分かりませんでした。
憎むということは、一生縁を切るくらいの強い気持ちだと思っていたからです。
それなのに、最後の最後に、『敵』に感謝する?
不謹慎ですが、その時私は彼女に騙されたような気持ちになってしまったのです。
彼女が最後に自分の気持ちに反することを書くとは思えません。だから本心からの言葉だったと思います。
その疑問をずっとずっと抱えたまま、相変わらず私の母親への憎しみは解消することなく続いているのです。

ふと思い出しました。
私が母を毒親と認識する前に、母への想いを書いた詩があったことを。
もうどこかに紛れてしまったので、正確には覚えていないのですが、内容は、
小学生の頃、母と出かけた際に買ってもらった詩集を大切に持っていること
その詩集を見るたびに、私は母を困らせる悪い子だけど、母からもらった詩集から愛情を感じるので大切にしている
というものでした。
その詩を書いた ーおそらく高校生くらいの時でしょうか?ー 時は、本心でそう思っていたのです。

母への憎しみも存在するけれど、母への感謝も存在する。
たとえ自分の親が毒親であろうと、子どもは本能で母という存在を慕い、母を認めようとしているのです。
親に感謝しなくてはいけない
などと言われなくても、子どもは親に感謝したいという欲求を持っているのだと思います。
感謝というのは結果であって、自分を守って欲しい、愛して欲しいという欲求が備わっているのだと思います。
毒親のような歪んだ認知を持つ人でなければ、親の側も何の掛け値もなく子どもを守り愛するのだと思います。
そうした自然な親子関係であれば、子どもが大きくなれば自然と「守ってくれてありがとう。愛してくれてありがとう」という気持ちが湧いてくるものなのでしょう。

子どもが生まれる→親が守り育てる→子どもが無事に育つ→子どもは生き残れたことを喜び、守ってくれた親に感謝する

ここまでがセットになって、人間および哺乳動物の遺伝子の中に組み込まれているのではないでしょうか?
ところが子どもを愛することが出来ない毒親の場合

子どもが生まれる→親は守らない→社会が安全なのでとりあえず子どもの命は無事→子どもは生き残れたという実感がないまま、これまで一番近くに居た親を拒絶することが出来ない

そんなチグハグな心理になってしまうのかもしれません。
太古から親に守られて生き延びてきた動物は、親を慕い親に感謝する気持ちまでがセットになっているのに、毒親に育てられた子どもは、何に感謝するべきかわからずに迷子になっているような状態ではないかと想像します。
感謝できる要素を、子どもの側が必死に探しているのです。
社会の常識のように言われている「親に感謝するべきだ」という論調は、実は逆で、「親は、子どもが自然と感謝の気持ちを持てるような振る舞いをするべきである」と、親の側の努力や責任を促すものでなくてはならないのではないでしょうか?
生まれたばかりの子どもに親への接し方の責任を持つことなど出来ません。努力するべきは親の側なのです。
だからわたしは、本当なら親に感謝したい気持ちがあるのに、感謝に値するような行動を親が滅多に取ってくれなかったために、気持ちが迷子になっていたのです。
詩集を買ってもらったというほんの些細な出来事に、感謝するキッカケを見つけようとしていたわけです。

すると、わたしを救ってくれた『姉』のような彼女が、最期に母への感謝の気持ちを発信したというのは、病床に付き添い最後まで側で見守ってくれた母親の行動によって、彼女の、母に感謝したいという欲求が達成されたということだったのではないかと思うのです。

愛情を注いでくれる母親が居ない子どもは、親に愛されたい、感謝したいという気持ちを、『お母さん』というアイコンの中に見つけようとしているのかもしれません。


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