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強力な無価値観

私の心を縛っているものが、あまりにも強力で、どんなに私の価値を見出すような言葉掛けをされても、表彰されるような素晴らしい状況になっても、結局は「自分は何をやってもダメだ!」という考えに戻っていってしまいます。
これは生きる根本に関わる問題です。

庭にきゅうりを植えています。
みずみずしく美味しいきゅうりが一本なりました。
けれど実が育ち始めるあたりから、この株だけ、すぐに葉っぱがしおれるようになりました。
雨が降って、全体に水が掛かると元気になるけど、晴れた日に根本だけに水をあげても、葉はしおれたまま。どうやら茎に異常があるようです。
元気が無くなってから、その株はたくさんの花を付けるようになりました。
まるで命の終わりを悟っていて、完全に枯れてしまう前に、少しでも多く実らせようとしているみたいです。

このきゅうりの株のように、せっかく美味しいきゅうりを実らせることができる株でも、根本に近いところが傷ついていたら、生き延びることができないし、いくらたくさん花をつけても、生きているうちに実るものは数少ない。

私はこのきゅうりの株みたいだなと思いました。
自分が価値のない人間では無いことは、頭のどこかでわかっているのです。
けれど根本の方で、それを信じ切れる力が削がれてしまっているのです。

カウンセリングなどは、顕在意識上で「そうではない」とわからせるために、自分について考えていきますが、それは葉先に水を与えているようなもので、その時は気持ちが収まって自信がついたように見えても、またすぐしおれてしまう。
根本に付いた傷を探して補強してあげないとどうにもならないのです。

頭ではわかっているだけに、自分が自分の思い通りにならないことがもどかしい。

自分が自分の価値を信じられない
ということを、普通に自分に価値や権利があると信じている人に話しても「そんなことはないよ」と慰められるだけです。

自分に価値がある
と信じるはっきりとした根拠は無いのと同様、
自分は無価値である
と信じるはっきりとした根拠は無い。

つまりこれこそが、幼少期に親から刷り込まれた感覚なのです。

しおれてしまうきゅうりは、生長の過程でどこかに傷が付いたらしい。
きゅうり自身にもわからなければ、他の苗と同じように植えて育てていた私にもわかりません。
しかし明らかに大きな傷がどこかに付いているのです。
他の苗がまだまだ葉や茎を伸ばしている時に、この元気のない苗は、たくさんの花を咲かせ、生きているうちに少しでも多く実をならせようとしています。
私ががむしゃらに頑張る理由は、このきゅうりと同じなのかもしれません。
美味しい実をたくさん付けても、生きる気力が無く、やがて枯れるのを待つばかり。
命を奪う原因は、根本の傷か?
茎の中に侵入した虫なのか?

根本的な原因が見つからないと、結局何を成功させても生きながらえることは無いのでしょう。
生育歴と、その過程で自分がどれほどの傷を負ってきて、我慢を重ねてきたのか?
その分析こそが、根本の傷を見つけ出すための地道な作業。
それしか方法が無いのだと思います。

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