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コスパ地獄

私は、
例えば、ネットで中古本を買おうとする時、本の代金と送料を合わせて、1円でも安い方を選ぼうとします。
本の状態が、『非常に良い』と『良い』だったら、『良い』で安い方を選びたくなります。
今はネットで物が買え、その選択範囲も無限にあるので、その選択は良くも悪くも無いのですが、ネット通販が普及する前、例えば家電量販店で家電を買う時も、なるべく安い物安い物と選んで失敗したことが何度もあります。

安物買いの銭失い

というやつです。
1円でも安く買ったものが、結局すぐに壊れてしまい、また買い直す羽目になったり、実は他のオプションを付けないと機能しないものだったり……
何度も何度も失敗しているくせに、また1円でも安く……という目線で品定めをしている自分がいます。
ある意味、コスパ強迫症だと思います。
なぜこんな強迫的に安い物を求めようとするのか。
これはまさしく母の影響です。
母の買い物の仕方は、全く理にかなっていませんでした。
スーパーや量販店で、安い物を大量に買い込んで、結局使わなかったり、腐らせたりしてしまうのです。
一度に買う量がすごいので、家族で使い切れるとは思えないのですが、安いと見ると買ってしまうのです。
私の家に遊びに来る時も、よくわからないお土産を大量に持ってきます。その中で、私が欲しいと思う物は一つもありません。
けれど結局それを使っているので、良い悪いを見極める前に、母の買ってくるものはロクなものではないという先入観もあるかもしれませんが。
とにかく、食べ物なら美味しそうではなく、服ならダサく、使う物なら使い勝手がイマイチなものばかり押し付けられるのです。

母の、『ホンモノ』を真似た『ヤスモノ』を買う癖が信用できないんですよね。
大量に買うのでコスパにもなっていないし、それをすべて自分で使用するわけでもなく他人にばら撒きたい。
買い物依存症の亜種なんじゃないかと思います。

そして、そんな母に育てられた私も、似たような買い物癖が染み付いているのです。
いろいろな商品が並んでいる。
迷わず1円でも安い物を選ぶ。
しかしせっかく安いのだからと言って複数個買ってしまう。
結局使わずに放置してしまう。
だから散財になってしまうのです。

お金の問題ばかりではありません。
母は新品の物とか、手の込んだ物を避ける傾向がありました。
学校の教材というのは、学校で注文を受け付けるものが多かったのですが、母はわざと学校で注文することはせず、自分で安い物を見つけてきては私に持たせていました。
しかも、私が選ぶわけでもなく、勝手に選んで買ってきたものを待たされる。
だから、友達と違うことがまず嫌だし、さらに母が選ぶダサいものが嫌で嫌で仕方ありませんでした。

経済的なことを考えていたのかと言えば、そうでもありません。
今でも覚えているのは、小学校3年生くらいの時。割り箸ペンで絵を描くという図工の授業があり、
割り箸と、瓶に綿を入れて墨汁を染み込ませた物を持ってくるように言われました。
母に、「瓶と綿をちょうだい」と言うと、「これでいいのよ」と、筆ペン用のインクを出してきたのです。瓶と綿の方が断然安上がりのはず。けれどそれを用意してもらえなかったら、母の言うとおりにするしかありません。
翌日、言われたとおりに道具を用意しなかったことで、担任にお叱りをいただいたのは言うまでもありません。

こんな風に、明らかに経済的ではないことでも、周りと違う物を用意する。そんな癖が母にはありました。
まだ幼く、母の選ぶもの以外に選択肢の無い私は、本当に嫌な思いをしました。
自分の好みでもなく、友達とも違う。
私にとっては何のメリットも無い。
「友達と同じ物が欲しい」と言うと、「何でも人と同じ物を欲しがるのは良く無い」と言われてしまいます。
いやいや、別に人の真似をしたかったわけでは無いんだけど、母には伝わらないんですよね。

母は、そうやって独特の物を選ぶことで他人の優位に立ちたかったのでは無いかと思います。
物をたくさん買って人に振る舞うのも、無意識のうちに自己顕示欲を表していたのではないでしょうか?

人が人と同じ物を欲しがるというのは、自然な心理ですし、だから流行が生まれるんですよね。
母はそういう心理を憎んでいました。
流行を追うことを嫌っていたのです。
しかしテレビで「○○がいい」と宣伝していれば、それに飛びつく人でもありました。
要するに、天邪鬼なんですよね。

そんな母の意味不明の価値観に振り回されてきた私は、わかっていながら、強迫的にコスパを意識してしまい、物の本質を見極めるのが下手になってしまいました。

一つの物を大切に使い続ける、または長い期間使い続けられるような物を選ぶことが、どうしても出来ない人間になってしまったのです。

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