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そんな就活やめちまえ

いまさら言うまでもないが、日本の就活で精魂尽き果てヘトヘトになる大学生が多い。

そりゃそうだろう。

自己分析なる摩訶不思議な課題を強要され、自分が何者であるかを恐らく分かっていないであろう人事担当者に、自分が何者であるかをプレゼンさせられ、勿体ぶった挙句に、明確な理由なく不採用を告げられ、頼みもしないのに今後の活躍をお祈りされる。

なんじゃこれ?

一体自分は何者なのか?何が得意で何に不向きで、何をもって社会に貢献するのか?20代そこそこで見つかるはずのない正解を延々と探し求める地獄のメソッド。それが自己分析。

その先には「自分探し」なるオプションまで用意されているというから驚きだ。

自分を探すには、まず幽体離脱しないといけないらしい。スミマセン私見かけませんでしたか?オタクは?あっ私の魂です!ああ就活中なんだね?はい自分探し始めたんです!そう言えばさっき駅前のスタバで見かけたかな?あざーす!ってなんでもそんな感じらしい。

もちろん学生には罪はない。彼らは被害者である。そんなものを推奨し強要している大人がロクでもないと言いたいのだ。

自己分析がミスマッチを未然に防ぐ有効な手段でないことは、ここ十数年、新卒者3年以内の離職率が高止まりであることからあきらかではないか。自己分析を推奨する就活コンサルタントが相変わらず多いようだが「あなたは自己分析のおかげでシアワセニナレマシタカ?」って聞いてみたいもんだ。面接で「自己分析が不十分だね」なんて言う人事担当者がいるというが「では、あなたは何者ですか?」ってトコトン問い詰めてみたいもんだ。

社会に出てから価値観や志向なんてものはどんどん変わってく。自分が何者なんて語れるのはお釈迦様ぐらい。ボクなどは53にしてまだ自分のことが分析できずにいる。自信を持って言える。胸を張ってみんなに問いたい。ボクは一体何者なんでしょうか?

ボクの知る限り、社会でイキイキと活躍している人は、就活で自己分析に成功した人なんかではない。時に迷い時に悩みながら、たくさんのことに挑戦し、上手くいったり失敗したり、そしてまた何かに挑戦し諦めたり挫折したり、という繰り返しの中で現在進行形で一生懸命に生きている。その生き様がキラキラ輝いて見えるだけなのだ。

就活なんてポンコツなシステムの中で、思うような結果が得られないからと言って落ち込む必要も自信をなくす必要もない。おかしいものはおかしい。変なものは変。「自分を不採用とする会社が変」ぐらいで丁度良い。

最後に、とある会社の採用ページのメッセージが素晴らしかったので紹介しておこう。

いつ、どこで、だれが決めたのか、よくわからないルールが社会にはあふれている。大学3年生になったら、就活をしなくてはいけない?なんだそれ。就活は、働きたくなったらするものじゃないのか。学生はとりあえず就職して、会社はとりあえず就職されて、それで幸せに生きられるのか。

そんな考えじゃ人生ソンするぞ、社会で通用しないぞと、言われたこともある。果たして本当にそうか。約束を破ったわけじゃない、人を裏切ったわけでもない。ダラダラ働いているわけでも、世の中に反抗したいわけでもない。黙って生きられないのは、ヘンなルールに人生を邪魔されたくないためだ。世間の常識なんて、忘れたフリをすればいい。それがちゃらんぽらんだというのなら、ちゃらんぽらんと共に前に進みたい。妥協せず、自分の人生を磨き上げていく会社へ。わたしたちはブラッシュアップ・ジャパン。

何やウチの会社のやん。(おしまい)

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