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女優のアルバイト 〜 前編 〜

この記事は、『アカツキ人事がハートドリブンに書く Advent Calendar 2020』 の 6日目の記事です。 前回は小能さん の、「がんばれ日本の社会人。組織環境よくしたいけど、折れそうな誰かへの、16のエール」でした。

初めまして。志藤(しとう)と言います。
今回、アドベントカレンダーへ初参加します。
前回は企画側で、運営しておりました。

今回なぜこうして記事にしようと思ったのか、そしてアカツキとの5年間のことをつらつらと書かせてもらいました。駄文で恐れ入りますが、お時間いただけると幸いです。
はじまり、はじまり...。

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読んで欲しいひと:アカツキがどんな会社か興味のあるひと。(アト、私を知っているひとにも読んでもらえたらうれしい。)

こんな人も働いてる会社なのか、面白いなって思ってもらえたらいいな。

入社のきっかけ

私は、2015年の10月にアルバイトとしてアカツキに入社した。
きっかけは、マイナビバイトの募集サイト。
同級生の多くは、入社5年目を迎え社会人に馴染んでいた頃だと思う。
26才の私がそんな時期に探していたのは、下の条件に当てはまるアルバイトだった。

・家から通勤15分圏内
・企画の仕事ができる
・週5で働ける
・急遽のお休みOK

この、「急遽のお休みOK」という何とも自分勝手な要項は何かというと、私は芸能事務所に所属している俳優なのである。
売れない俳優は、自分でスケジュールの調整ができるわけもなく、突然のオーディションや突然の撮影に急遽呼ばれて急遽参戦する。いつでもどんとこい!状態でいなければならないのだ。

何かしていても、「すみません、事務所から連絡が入り1時間抜けてきます」や、「明日急遽お休みをいただけないでしょうか」という、働いている仲間に対してとんでもなく大迷惑な所業を積み重ねてきた。

とは言え、俳優業で生活ができるわけではないわけで。
これまで、できるだけ迷惑がかかりにくい場所・・・どこ・・・と探し続け、飲食店や紹介してもらったコールセンターなどでアルバイトをしてきた。(もちろん、どこにいても大迷惑である。)

とにかく肩身の狭い生活が続き、「申し訳ありません」が常日頃。
どうにかこの生活から抜け出したいと思っているときに、働いていたコールセンターが閉じることに。
急いで生活費を稼ぐためのアルバイトを探すべく、募集情報サイトを開いた。

そのときに思ったのが、「このままでいいんだっけ」。
人生の時間、半分以上が「申し訳ありません」の気持ちで過ごしている今の自分て誰が喜ぶんだっけ。

見直そう。そこで、俳優業の傍らでやりたいことを考えた。
正直、「売れない俳優」の肩書きで居続けることがつらかった。


大学を卒業するまでのこと

私は、高校教師をしている父親と、専業主婦の母の元で育った。
ぼけっとしている父と、ちゃきっとしている母。
性格は父に似て、失敗しても後悔しない楽観主義。
そこを母に軌道修正してもらいながら生きてきた。
守衛さんに「ごきげんよう」と言って門をくぐる中高に通い、ビリに近い成績を保ちながら高校生活を迎え、最後の1年間、がむしゃらに勉強して大学受験をした。


お祭り好きな私は、文化祭実行委員を担い、毎年自ら複数の企画を持ち文化祭に臨んでいた。大学に入ってからも趣向は変わらず、イベントを企画する部活に入り、ディレクションを学んだ。一方で、出版や広告業界に興味があり、高校時代には出版社に飛び込み、編集されている方に話を聞いて編集の仕事とはを高校生なりに資料にまとめてみたり、大学では、広告会社にインターンで通い、情報誌の編集をしたり、名刺を持たせてもらい飛び込み営業をしていた。

そもそも大学に入るときに、課外活動を沢山できるようにと思い、必修単位の少ない学科を選んだのだが、1、2年でほとんどの科目を履修しており、3、4年は思いきり課外活動に勤しんでいた。
(こうまとめてみると、私いろいろ頑張ってきたんだなと思う。自画自賛。)

2年の秋、そろそろ就職活動を始めるぞという時期に、とある学生広告コンペに参加した。
グループワークと、個人ワークでの参加。
これはいいぞ!最高だ!と思い作り上げた作品が、広告業界で名のある人たちの目に止まれなかったのは辛かった。その時、一緒に参加した友人が評価されたが、10年経った今でも覚えているくらい本当に素晴らしい作品だった。


自分の作品が外の世界で批評される、初めての経験。広告は、私の技量じゃ無理だ。。
あの日の帰り道、友人たちより少し前を歩いて、溢れる涙を見られないように…必死だったなぁ。思い出しても泣けてくる。


そして、そこから2ヶ月、家にこもって悩み続けた。
私は何をしよう。何ができるだろう。


本当は、小さい時から決めていた

母は専業主婦と先述したが、私が中学に上がる前まではバレエ教室を開いていた。
私も幼い頃から習い始め、早くから舞台に上がる楽しみを憶えていた。

人前に立つのが好きで、目立ちたがり屋。
モーニング娘。が流行った頃には、モー娘になるんだ!と思い込んでいた。(敬称略失礼)
そんなミーハーな中学生に衝撃を与えたのが、ドラマ「ランチの女王」。
竹内結子さんの美味しそうにご飯を食べる姿、ガハガハと笑う気持ちよさに、一気に魅了された。この時から夢が、女優になった。
想い溢れてファンレターを書いた覚えがある。
いつか、女優になって会いに行きます、なんて。叶わなかったな。

中学生の頃の夢も、受験勉強や大学デビューの楽しさに隠れてしまい、そのうち、夢を口に出すことが恥ずかしいと思うようになっていた。

それが、広告コンペでの挫折でひょっこり現れた。

「事務所に、履歴書送ろうと思う。」
やっと言えた。本当はずっとやりたいと思っていた。

大学3年生にして、初めて芸能界に飛び込んだ。



育良ビルでの入社面接

話はアカツキに戻って、入社したのは26才の秋。
この頃は、代官山と恵比寿と中目黒の中間点、槍ヶ崎の交差点にオフィスがあった。
とにかく空気が暖くて、今でも好きな場所である。

一歩踏み入れると、とにかく、木!木!木!お洒落な居酒屋かな?という第一印象。
一気に魅了された。

育良ビルのエントランス

当時のエントランス

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今こうして写真を見返しても、やっぱり大好きなオフィスだ。

入社面接では、担当だった総務のSさんと法務のYさんが、私が芸能活動をしていることを「面白い!」と言ってくれた。それがすごく嬉しかったことを憶えている。また、出版関係に興味があり、情報誌の編集をしていたことを伝えると、「ちょうどこれから社内報を作ろうと思ってるんだ!一緒に作ろうよ!」と、楽しそうに話をしてくれた。

自分勝手な事情をOKしてくれ、さらに企画の仕事ができるとは!!!
ウキウキしながら入社日を迎えた。

・・・続きは、後編にて。

人事アドベントカレンダー
【 クリスマス限定 】株式会社アカツキの人事広報部に所属するメンバーが、ハートドリブン&思いのままに綴った記事を毎日リレー形式で連載しています。
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