動画編集者、アカツキグループ月次共有会の主担当になる。
はじめまして!Cultureチームに所属している、たかきなつみと申します。
(アカツキとは別軸ではありますが)映像クリエイターとして動画を作ったり撮影したり映像講師をやったりしています。
そんな私がなぜ人事としてアドベントカレンダーを書いているのか…
人事アドベントカレンダーということで、人材マネジメントのコツや採用などについて見に来たよ〜という方、すみません。
本記事ではただただ私の「人生」と「やりたいこと」について記していきますので、気軽にふら〜っと読んでいただければ幸いです。
動画編集を始めたきっかけ
過去の話から。
中学2年生のある日、祖父からミッションが課されました。
(街のでんき屋さんの祖父は、私の友人から「ハイテクじいちゃん」と呼ばれており、親戚の中で誰よりも早くスマホに替え、いつもPCとにらめっこをしているような人です)
祖父は吹奏楽部だった私がイベントに出演するたびに駆けつけてカメラを回し、撮影した動画を編集してDVDに焼いてくれていました。
ある日「もう自分で編集してみろ」と素材とPCをポンと渡されました。
元々PCを触るのが好きだったので、ワクワクしながら初めての編集に挑戦したことがきっかけで動画編集にのめり込むようになりました。
将来の夢は役者だった
動画編集が大好き!といいながらも、実は小学3年生のころからたくさんの人を笑顔にしたいという思いから役者を目指していました。
夢を追いかけ演劇の学科がある高校に入学。
高校卒業後は上京し、演技の養成所に入所しました。
動画編集は必要なときにやるくらいで、ほぼ演技一本という生活を送っていたのですが、養成所2年目に転機が。
表現の幅を広げたりもっと自分を知ってもらうためにYouTubeを開設しました。
久しぶりにガッツリ編集をして動画に関わる楽しさを思い出し「編集をもっと極めて仕事にしたい!動画を通してみんなに笑顔を届けたい!」と思うようになり養成所を退所。
(他にも色々と理由はあったのですが、一旦離れてみてやっぱりやりたいと思ったら私には演技が必要ということでその道に戻ったら良いかなと思っていました。ただ、見切り発車のような将来の路線変更に養成所の友人からは説得されました笑)
長所でも短所でもあるのですが、やると決めたことは基本的に曲げない私も、さすがに小学生から役者の道を応援してくれて快く送り出してくれた両親に申し訳なく、役者の道は辞めると言い出すのには少し勇気が必要でした。
勇気を持って両親に伝えた時に母が
「役者を目指すのもなっちゃん(私)が幸せになるための通過点だと思っていたので、自分で考えてやりたいことを選択するのは良いと思うよ」
と言ってくれました。
その言葉は今でも私が何か選択を迷っているときに背中を押してくれます。
母は偉大。
そこから私は役者の道ではなく、動画編集者として活動していくことになります。
「人事」というお仕事との出会い
とあるベンチャー企業で映像のお仕事をしていたときのこと。
「採用にも興味ありませんか?」とお声掛けいただきました。
元々人とお話することが好きだったため喜んでお引き受けし、未経験の採用業務に奮闘するうちに人事というお仕事が好きになっていきました。
そんなある日、アカツキのCultureチームの求人に出会いました。
(アカツキに出会うまでの間に、父が病気で退職したり、入退院を繰り返したりと様々なたかき家事件があり、お仕事にもかなり影響したのですが割愛します笑)
「アカツキグループ月次共有会」の主担当へ
現在の話に戻ります。
アカツキに入社した理由は、「動画編集✕人事」ができるからでした。
大好きな動画編集、そして人と関わるお仕事ができるなんてなんて最高のお仕事なんだ!とウキウキしていたのですが、入社して少し経った頃、Cultureチームの重点テーマの変更により動画編集の業務は縮小し、私のメイン業務は「アカツキグループ 月次共有会」の運営となりました。
※詳細は12月4日公開の小山一美さん執筆
「「ママ」と「私」の時間」 -状況の変化-をご覧ください。
「アカツキグループ 月次共有会」は、毎月第三金曜日の夕方にZoomで配信している社内イベントです。
新メンバーの紹介や各社のニュース共有を行う1部、取締役員陣のトークセッションの2部で構成しており、グループを超えた全体性の認知のきっかけとして、全体的・根本的・中長期的な視点からアカツキグループを見つめなおす会となっています。
重要な伝達事項が発生することもあるため対象者は原則参加ではあるのですが、諸事情で参加できなかった方は運営がバイネームで把握できる仕組みを導入しており、後日個別でアーカイブ視聴のご連絡をしています。
対象者は370人以上。
毎月たくさんの方々の1時間をいただいて開催している重要なイベントの主担当を5月には引き継ぐことになり、入社したばかりの4月は運営の見学という形で参加。
会をより良くするためのミーティング、配信のための機材設営、LIVE配信、アーカイブ準備などやることがたくさんあり、動画編集の業務ってあるのかな?というような気持ちはいつの間にか忘れて運営の皆さんに追いつくのに必死でした。
そしてあっという間に5月がやってきました。
初めて主担当をした会の運営はボッロボロ。
周りの方のサポートがあってなんとか乗り切れたレベルで、私にはやっぱり動画のほうが合っているんじゃないか、周りを巻き込むCultureの仕事は向いてないんじゃないか、とかなり心が折れかけました。
そんな中、運営に関わる様々な方からたくさんのフィードバックをいただいたことで、このチームで作っているんだ、みんなでもっとより良いものを作っていこう!とやる気が漲ってきました。
運営チーム、先輩たちは偉大。
6〜7月は社内の大型イベントがあり、月次共有会は開催されません。
3ヶ月後に2回目の運営ということで、前回の失敗を繰り返さないように運営メンバーと入念に準備を進めました。
開催前日は緊張で眠れません。(演劇の舞台本番の前日を思い出します)
そんな中迎えた本番。
事前準備はバッチリだったので安心して配信を始めた直後、事件は起こります。
月次共有会は視聴者が参加しやすくなるように、最初の5分はアイスブレイクを入れる構成にしており、その際に気分が上がるようなBGMを流しています。
普段は音響担当の方にiPadからBGMを流していただいているのですが、このときは1ヶ月前に行われたFesという社内の大型イベントで社内バンドの方々に演奏いただいたオリジナルソングを流すために私のPCからBGMを流すことになりました。
私は配信に問題がないかZoomに入室して視聴しながら、アイスブレイクの際にBGMを再生したのですが、BGMだけでなく私が視聴していたZoomの音声も配信に乗ってハウリングしているような状態になっていました。
すぐに音響担当の方にサポートいただいて問題を解消できたのですが、私の中では「視聴者の気分が上がるようにBGMを流しているのに、少しでも不快な思いをさせてしまった…」という気持ちが大きく、その後は少し上の空になってしまっていました。
上の空になっている暇はない。その後もう一つのトラブルが。
2部の取締役員によるトークセッションにて、急遽動画を流すことになりました。
しかし事前に動画を流すという準備をしていなかったため、動画の音声が配信に乗りませんでした。
登壇いただく方にはなるべくストレスがない状態でお話しいただきたいと考えているため、ここでも「やってしまった!」とかなり落ち込むことになります。
私のリベンジ回は周りの方にサポートいただいたことでなんとかやり遂げたという、成功とは言い難い形で終了しました。
その日は、帰宅しても愛犬の散歩に行っても月次共有会のことで頭がいっぱいです。
たくさんの方のお時間をいただいている場なのにミスをしてしまった
準備は完璧だと思いこんでいただけで、何もできていなかったのではないのだろうか
以前の担当者だったら、トラブルが起きたときにどのように対応していたのだろうか
自分は主担当に相応しいのか
そんなことを考えているうちに涙が込み上げてきました。
せっかく主担当として任せてもらっているんだ。
配信が怖いと怯えていちゃだめだ。周りを引っ張っていく運営が緊張しすぎてもだめだ。
もっと良い会にしたい。いい会にするには何をすれば良いんだろう?
まずは今回の失敗を振り返るところからスタートしよう。
本気で施策に取り組む中で、動画しかないんじゃないかと悩んでいた私はいつの間にか、間違いなくグループ月次共有会の主担当になっていたのです。
やりたいことってなんだろう
動画編集をやりたいと思ってアカツキに飛び込んだ私は今、グループ月次共有会の主担当をはじめ、様々な施策で奮闘しています。
社内の方々とは、施策を通してヒアリングのお時間をいただいたり、月次共有会に登壇いただくための打ち合わせやリハーサルを行う中で繋がりを作ることができました。
(社内でも私が動画が作れるということを知ってイベントなどの動画編集の依頼をいただくことが増えてきて、改めて人との繋がりって大切だなと実感しています)
最後に。
今、私には本気でやりたいことが2つあります。
ひとつは、社内のみなさんが働きやすい環境を作りたいということ。
そのために、アカツキグループの全体性を深く知る機会である月次共有会を最高の状態でお届けしたり、社内で困りごとがあればCultureの一員として全力でサポートしていきたい。
そしてもうひとつは、動画編集者として見ている人が笑顔になれるような動画を作りたいということ。
あれ?
動画編集と人事。
全く関係ないと思っていたけれど、私がやりたい
「たくさんの人に笑顔になってもらいたい」という根本の部分で繋がっていたのです。