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HSPは捉え方次第で幸せ

ハイリーセンシティブパーソンという言葉は随分世の中に浸透してきました。

僕自身も繊細さんなのかもしれないな。
と、職場での上司や同僚と保育観が合わなくて悩むここ数年で思うようになりました。

とはいえ、HSPは生まれた時から持っているその方の気質。後天的に現れる症状ではありません。何かしら幼少期から特徴が現れていたはず。

しかし僕は3年前まで、自分の気質で苦しむことはありませんでした。人より敏感だなぁとか、常に相手の言動に振り回されてるなぁとか、そこまで思い留まって考えるほど悩んじゃいなかった。

【子どもの心を敏感に捉えて個人のペースに寄り添うことが最優先するスタンスが浸透していて、それぞれの感じ方を尊重する職場にいた時代】

【子どもの心を捉えても、みんな一緒のことをさせないといけない風潮で、それでも子どもの気持ちを無視できないから子どものペースに合わせてたら、上司や同僚から冷ややかな目で見られる職場にいた時代】

前者だとHSPの特性が輝いた。
後者はHSPが裏目に出た。

前者は子どもの心を察知して一人一人の自分なりの成長を後押しできた。同僚とも、互いに想いを尊重する雰囲気ができてたから人の言動が気にならずに自分の意見を伝えられた。

後者は子どもの心を敏感に察知するために、子どもが抵抗することを無理矢理させることはできなかった。(いやそれは当たり前か。)ただ、一斉活動することが求められてたから子どもの想いに耳を傾けない能力が必要だった。組織に求められてることができなかったので、上司や同僚の視線や言動が苦痛になった。

要は環境だし、繊細な自分をどう捉えるかだな。

自分が適応障害になって
離れて暮らす母親が心配して駆けつけてくれた。
ゆっくり話す時間ができた。

少年野球に入っていた頃、厳しくも長所をいつも認めながら伸ばしてくれた監督が突然不慮の事故で亡くなり、別のコーチが監督に就任したということがあった。
パワハラ監督だった。

両名とも厳しいけど、僕は心意気というか感情を敏感に読み取った。前の監督の厳しさには愛情を感じた。

後の監督は理不尽だった。まぁ自分が勝手にそう思い込んだだけかもしれないけど、すぐにそう思い込むのが繊細さだったのかも。
少年野球はその監督が就任して数ヶ月で辞めた。

先日母親からその当時のことを聞くまで具体的な理由を忘れていたけど、
「あんたは、チームメイトが命令されたり怒られたりしているだけでも辛くて涙が出てくる。もう辞めたい。って何度も言うから辞めさせたんよ。」
ということだった。

最近仕事が辛くて、それでHSPというところに行き着いて理由をつけて言い訳のように使っていた気がしたけど、多分本当に繊細な部分はあるのかもしれないなと思った。

ただ、だから何だ?

幼少期から友達に恵まれた。
気質的に、相手に寄り添えたからかも。
結婚できたのも、この人に尽くしたい、相手を幸せにしたいという行動がこの気質のおかげで相手に届いたのかも。

結局はこの自分で幸せを掴んでいるんだよ


HSPの自分が楽しく、幸せに生きられる方法、環境を探そうぜ。

繊細だからこそ輝ける

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