見出し画像

沢庵宗彭の辞世 戦国百人一首59

江戸時代の臨済宗の僧・沢庵宗彭(たくあんそうほう)(1573-1646)は、漬け物の沢庵の考案者だという話がある。
諸説あって本当のところがどうなのかはわからないが。
父親は、但馬国主・山名祐豊の重臣の秋庭綱典という。
武士の次男として生まれていた。
のちに徳川家光が彼に帰依している。

沢庵宗彭 59

夢         
百年三万六千日  
弥勒観音幾是非 (みろくかんのんいくぜひ)    
是亦夢非亦夢  (ぜもまたゆめ、ひもまたゆめ)
弥勒夢観音亦夢 (みろくもゆめ、かんのんもまたゆめ) 
仏云応作如是観 (ほとけいわくおうさにょぜかんか)    

夢 
百年三万六千日
弥勒・観音、幾(いく)ばくの是非(ぜひ)
是もまた夢、非もまた夢
弥勒もまた夢、観音もまた夢
仏云く、まさに是(か)くのごとき観を作(な)すべし

沢庵禅師は、臨終の間際に彼を慕う弟子たちに求められ、やむなく筆を取り「夢」と書いた。
そしてその傍らに
「百年三万六千日 弥勒観音幾是非 是亦夢非亦夢 仏云応作如是観矣」
と添えたのである。

「この世の全ては是も非もない。人生の全ては夢なのだからとらわれてはいけない」
と言う意味だ。

生前、沢庵禅師に帰依していた徳川家光が
「(島原の乱について)戦わずに済む方法はないものか」
と沢庵に問うたことがあった。

その時沢庵は
「この世は夢。夢の中に居ることもわからず、この世が実在すると思っている。人と争っても夢が覚めれば相手はいない。現(うつつ)と思ってもそれも夢。勝ちを喜び負けを悲しむという自他の対立の夢で争うをやめればよいのです。勝敗などない無の境地の人になられることです」
と、答えたという。

勝ち負けに囚われるな、ということか。
世の中の出来事全てを白黒はっきりさせることが正しいことではないのだ。

有無を超えて、宇宙が一つになるべきなのだ、と。
「夢(む)」は「無(む)」なのだ。

1645年12月に万松山東海寺にて没した沢庵。
辞世と共に、
「自分の葬式はするな。香典はもらうな。夜半ひそかに死骸を担ぎ出して山に埋め、二度と参るな。墓を作るな。朝廷から禅師号を受けるな。位牌を作るな。法事をするな。年譜を記すな」
との遺言を残したという。

彼は自分の存在さえ「無(夢)」になりたかったのか。