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小堀遠州の辞世 戦国百人一首㉖

小堀遠州(こぼりえんしゅう)(1579-1647)はこの通称が知られているが、本名は小堀正一(まさかず)である。
近江国出身で浅井氏に仕え、のち羽柴秀長(秀吉の弟)の家臣となった。

小堀遠州1

昨日といひ 今日とくらして なす事も なき身の夢の さむる曙(あけぼの)

今までの人生とやり残したことその全てでさえ、亡くなっていく身の自分にとっては、あけぼのの中ではかなく覚めていく夢のようだ 

備中松山藩第2代藩主、のち近江小室藩初代藩主となった人物である。
大名であると同時に、建築家、作庭家の顔を持ち、幕府の作事奉行となって造園の指導に当たる。
それだけではない。
書家でもあり、特に千利休から古田織部へと続いた茶の湯の本流を受け継ぎ、遠州流を立てた。
後に徳川家光の茶道指南役となるほどの茶道家でもあったのだ。

そんな遠州の辞世は、いかにも風流人にふさわしく、さらりとしているが、教養に裏打ちされている。百人一首にもその名を見る春道列樹(はるみちのつらき)という平安時代の役人の歌

昨日といい 今日とくらして あすかがは(飛鳥川) 
    流れてはやき 月日なりけり
                      
(古今和歌集341番)

の本歌取りである。

実は、春道列樹の歌も、

世の中は 何か常なる 飛鳥川 きのふの淵を 今日は瀬になる
                     (古今和歌集933番)

の歌を意識して詠まれた歌らしい。

「飛鳥川」というのは、奈良にある急流で知られる河川である。
川の流れの速さと、その名前から「昨日・今日・明日(あす)」にかけて、時の流れの早さを示す時によく例えとして和歌に使われる川なのだ。

「飛鳥川」の名前自体を遠州が自分の辞世に採り入れることはなかったが、彼はもちろん意識していたことだろう。

小堀遠州伝来の名物(茶道具における古来の名器)に「飛鳥川」と呼ばれる茶入がある。
遠州がその茶入に初めて出会った時はまだ新しく見えたものが、後年再度見た時にはすっかり古びて味のある品になっていたことから、上記古今集の歌にちなんで命名した。
現存している。

1647年の2月、遠州は伏見奉行屋敷で亡くなった。享年69。