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「光る君へ」うろ覚えレビュー《第27-29話:宿縁の命+一帝二后+母として》

またまたしばらくお休みせざるを得ない状況が続き、いつもあたしの拙いレビューもどきを読んでくださっていた皆さんには大変申し訳ありませんでした。お詫びに、今回から少しの間だけお絵かき係に新人2人を起用しました。もし、それがお詫びになっていなかったら、また詫びます。

■新人紹介
【エルあね
弟のエルの姉である。19歳。スペインで大学生している。特技は背が高いこと。先日、日本で弟と一緒にジムへ行ったら、「(3歳半年下の弟の)お母さんですか?」と30男に問われ、ショックを受けた。その後、行くたびにその男にナンパされ続けている。

【エル】
姉の弟である。明石 白のアイコンの制作者。かぞえ年16歳。スペインで高校生やってる。特技は背が伸びること。じーちゃんから借りた万歩計を寝ている間も身に着けている。先日の睡眠中の歩数カウントは「22」。

今回もドラマ中の名言的(?)セリフ(関西風変換つき)を切り口に始めよう。

■「◯△✕■☆◆⬯(中国語)」by まひろ

気分転換のために家のものを引き連れてまひろが石山寺詣を行うと、なんと藤原道長と再会した。
そのときにまひろが語った越前の紙についてのまひろのセリフが
◯△✕■☆◆⬯いつかあないなきれい紙に歌や物語を書いてみたいもんやわ(中国語)」
である。
これは、その後まひろが執筆する『源氏物語』を書く紙への伏線となる。

思い出話に花を咲かせた2人だったが、まひろは
「供の者と一緒やから戻らなあかんわ」
と言って道長と別れようとするが、結局去ったはずの道長も走り戻ってきちゃったりなんかして、2人はともに夜を過ごすことに。
またやってしまったか。平安時代はそのあたり、寛容です。
そしてまひろは、のちに「道長の子」である娘の賢子かたこを身ごもり、出産することになる。

のちの賢子。着物の袖がマッチョな腕に見えるのは気のせいです(エル左手画)

一方で、一条天皇も定子の懐妊を喜ぶが、宮中にはすでに出家した女性の妊娠・出産を喜ぶ者は多くない。

というわけで、まひろも定子も状況は複雑なのである。

■「笛は聴くもんや。見るもんちゃうやろ」by 彰子

相変わらず彰子の性格は可愛くないし、自業自得に思える彼女に同情することもない。彰子は他人をイライラさせる達人である。

母親の源倫子は娘・彰子に「明るさとつや」を求めて躍起となり、教育係のエモン(赤染衛門)を巻き込む。
花を見て「はぁー、きれーわ」と言わされ、エモンに閨房けいぼうでの心得を教示してもらうが、視聴者の我々から見れば、何をやってるねん、である。

源倫子(エル左手画)

それでも、彰子は道長の娘。
なんとか娘を入内させ、女御にもさせた。権力者だからこそできることだ。
娘を犠牲にして天皇に差し出した、とする見方もあるが、道長だって馬鹿じゃない。そのあたりの損得勘定は済ませているのです。

ところで、それらの儀式はいずれも夜に行われた。
幻想的だったが、少し不気味に見えた。
このような儀式は夜にするものなのだろうか。

彰子にさほど興味があるとは思えない一条天皇だが、女御となった若い女性への礼儀や誠意はわきまえている。
天皇は彰子を訪ね、笛を演奏した。
しかし、演奏中の天皇の顔も見ない彰子の様子を天皇が咎めると、なんと彰子は
「笛は聴くもんや。見るもんちゃうやろ」
と返すのである。
意外にメンタル強い、というか怖いもの知らず。
若いってええですな。

エル曰く、ぼんやりした彰子の心の声を文字に。
何も言わなくても心の中は言葉でいっぱいなのだという。(エル左手画)

道長は娘を一条天皇の后にさせたい。
彼の命を受けた藤原行成は、彰子を天皇の后にすべく一条天皇の説得に回る。そしてなんと、いまだ定子に夢中であるはずの一条天皇は、女御となった彰子を中宮とすることをOKしたのである。行成の大金星だ。

こうして前代未聞の「一帝二后」が誕生。
道長と一家の栄華は続くはず、である。

実は、この行成による一条天皇の説得劇はそこそこ緊張感にあふれるやり取りがあったのだが、ドラマの中ではあっさりやり過ごされている。
そこは行成ファンとしては、残念だ。

それにしても、道長を悪者にしたくないドラマとしては、一帝二后にいたる経緯もすべて安倍晴明の入れ知恵の結果(一応陰陽術による占いの結果?)、となっているところがすごい。
朝廷のため、政治のため、より良い世のために道長は仕方無しに心を鬼にしてやってるんですよ、と。
私利私欲のためではありませんよ、と。

道長(エル姉左手画)

■「そなたの生む子は誰の子でもわしの子やで」by 宣孝

「光る君へ」を見るまでのあたしの藤原宣孝への印象は、「紫式部の夫になったというただの派手好きなおじさん」というものだったが、ドラマの中ではかなり株を上げた男ではないだろうか。

まひろのお腹の子が自分の子供ではない、つまりまひろと道長との間にできた子であることを知ったうえで自分の子として育てる宣孝。
「そなたの生む子は誰の子でもわしの子やで」
と言い切る宣孝が清々しく、かっこよい。
それほどまひろに惚れていたようだし、
「その子を可愛がって育てたら、左大臣様はますますわしを大事にしてくれはるやろ? もちつもたれつっちゅーやつやん」
との計算もあったようだ。

実際に、宣孝は左大臣・道長に直接会って、娘の誕生を知らせているし、その後道長から役を与えられるなど道長からの待遇は悪くないようだ。
宣孝は娘を「賢い子」という意味の賢子と名付け、とても可愛がる。
そこそこ金もあるし、理解のある夫に救われたまひろも穏やかに過ごしていた。

だが、そんな宣孝はある日病で亡くなってしまう。
最後の夜にまひろと賢子と3人で月を眺めると、翌日山城国府へと行ったまま宣孝は戻らなかった。
まひろがその死を知ったのは、宣孝の北の方(正妻)からの手紙を受け取ったときである。そういうときに、妾というのはなかなか辛い立場だ。
宣孝の死についての知識はまひろもあたしもほぼ同じくらい何も知らない。

宣孝の死に涙がでるわけではないけれど、寂しくはある。
ドラマの序盤から中盤までを楽しませてもらったキャラクターだったなぁ。
ありがとね、宣孝。
いよいよまひろは次のステージへと進んでいく。

いと(エル姉左手画)

■「後の世まで語り継がれるようあてが書き残しますねん」by 清少納言

なんだろうね。
このドラマの中における、『枕草子』Vs『源氏物語』感は。
それに辟易している。
単純に比べられるものではないのだよ、これらの2作品は。
ジャンルも目的も違うでしょ。

『枕草子』は生前の中宮・定子を慰め、そしてその死後にも使命を帯びて存続した作品である。
ドラマ中に清少納言が述べた通り、
「めっちゃ美人で、頭もええし、キラキラ輝いていた皇后はんと、この世のもんとは思えへんくらい華やかな後宮の様子が、後の世まで語り継がれるよう、あてが書き残しますねん」。
これこそが、『枕草子』を書いたナゴン(清少納言)の目的だ。

「春はあけぼの」の一文、一文の対訳や文法から入るのではなく、こういうことを中学・高校時代に古典の授業でまず教えてほしかった。
この作品には、清少納言の本音とか彼女の事情などはほぼ入っていないと思われる。その裏を、つまり『枕草子』が描かなかった裏のストーリーを想像しながら読むところに『源氏物語』にはない味わいがあるのに。

道長に対する恨みはかなり根深く、再起を狙うと同時に毎日まるで歯磨きでもするように、道長への呪詛を日課にして行っている定子の兄である藤原伊周。
彼は『枕草子』を自分たちの再起のためのに利用しようとしている。
ドラマ上では、ナゴンも伊周に同調し、道長に一矢報いるための武器として作品を用いようとしている。

で・も・ねー。
『源氏物語』は素晴らしい作品なのだが、それを引き立てるために『枕草子』が浅く理解されてドラマに利用されるのは、『枕草子』が好きなあたしにはちょっと残念な設定である。
2つの作品は勝ち負けを競うものじゃないのよ。

道長は、娘の彰子の入内には、公卿たちの和歌を屏風に貼って娘に持たせるというかなり強引なことを実行した。
伊周は『枕草子』を帝に読ませて天皇の歓心を買うのに一生懸命。
興味深いことに、このころ平安時代は和歌や随筆など文学や芸術で天皇の気持ちは動くし、政治に影響さえ与える。

こうしてまひろ、将来の紫式部が書く『源氏物語』がどのように藤原道長たち一家を盛り上げていくのか、それが見どころとなりつつある。