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日本史関連の記事

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Webに提供している日本史記事原稿とは別に自分で書いた日本史に関連する原稿です。
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#戦国武将

上杉謙信の辞世 戦国百人一首94

戦国武将を語るときに、この人物を忘れるわけにはいかないだろう。 信濃の覇権を巡り武田信玄…

三好実休の辞世 戦国百人一首93

室町幕府第34代管領細川晴元に仕えた、三好元長の次男として誕生したのが三好実休(1526か27-1…

大内義隆の辞世 戦国百人一首92

戦国時代の末期、現在の山口県南東部にあたる周防国の官僚大内氏は、近隣の少弐、大友、尼子氏…

安藤九郎左衛門の辞世 戦国百人一首91

1566年、上野国の箕輪城は武田信玄の軍による総攻撃で落城した。 安藤九郎左衛門(?-1566)は…

戦国百人一首 あと十首

「戦国百人一首」もあと10首を残すことになった。 誰もそんなことなど気にしてないかもしれな…

駒姫の辞世 戦国百人一首90

戦国の世には理不尽な死も多く見られるが、彼女の死もその一つである。 わずか15歳のおいまの…

へぇそうなんだ日本史㉚完【93歳、関ヶ原で武功を挙げる】

「へぇそうなんだ日本史」も今回で終了です。 いままで、私の自己満足にお付き合い頂いてありがとうございました。 noteの記事ではなく、読んでくださる方にとっては、さらに先に飛んでいかないと本文が読めないという不自由な形でしたけれど、私が過去に寄稿させていただいていた日本の歴史.comさんの記事のうちの一部をご紹介してきました。こちらのサイトに書かせていただいたおそらく100本以上(もう数えてません)の記事は、どれも楽しみながら書いたものばかりで、ぜひnoteの読者の方にもご紹

蒲生氏郷の辞世 戦国百人一首88

織田信長に見出され、豊臣秀吉を大いに助けた戦国武将、それが蒲生氏郷(1556-1595)だ。 洗礼…

高橋紹運の辞世 戦国百人一首86

豊後国を中心に勢力を伸ばした戦国大名大友宗麟は、家臣に「風神・雷神」を持っていた。 「雷…

へぇそうなんだ日本史⑤【科学的に復顔された石田三成の顔】

安土桃山時代に豊臣秀吉に仕えた武将・石田三成。 豊臣政権を支える五奉行の1人として活躍しま…

へぇそうなんだ日本史④【信長のネーミングセンス問題】

天下人として知られる織田信長。 戦国時代を代表する武将として最高の知名度で、人気のある人…

諏訪頼重の辞世 戦国百人一首85

信濃の戦国大名で、諏訪氏第19代当主だった諏訪頼重(すわよりしげ/1516-1542)。武田信玄に切…

辞世で観る「麒麟がくる」

noteでやってるまだ途中の自分プロジェクトがある。 「戦国百人一首」という。 戦国時代に生き…

大内晴持の辞世 戦国百人一首72

20歳で海の藻屑となってしまったのが、大内晴持(おおうちはるもち)(1524-1543)である。 死の直前、彼の目の前に広がった海は、どんな表情をしていたのだろうか。 大内を出にし雲の身なれども 出雲の浦の藻屑とぞなる  大内家はまるで雲がわき出るような大軍で出陣したというのに、今や戦いに敗れ、出雲の浦の海の藻屑となってしまうのだ  「出にし雲」は「出雲」に掛けている。 このようなテクニックを用いて歌を詠めるのは、晴持の歌のセンスと教養の高さに関係していそうだ。 まる