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辞世で観る「麒麟がくる」

noteでやってるまだ途中の自分プロジェクトがある。
「戦国百人一首」という。
戦国時代に生きた人々の100人分の辞世を集めている。
現在75でストップしているが、3月半~後半には再開するつもりだ。

さて、「麒麟がくる」という大河ドラマが終わったんだけど、「戦国百人一首」には、ドラマに登場する人たちの辞世も沢山含まれている。

そこで、軽ーく彼らを紹介しながら、辞世の記事を並べてみた。
リストが長いので、目次の中からお目当てのドラマ登場人物を探して読むのも良いかも知れない。

ではいってみよう。

■1.明智光秀

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ドラマの主人公。
キャストビジュアルを今改めて見たら「麒麟をつれてくる男」になってる。そうだっけ? 
最初は違ったと思うが、ドラマが終わってみたらそういうことになっていた。
ドラマでは彼が山崎の戦いで死ななかった可能性を示唆しながら終了した。
徳川家康の参謀僧侶・天海の正体は光秀だったんじゃないかとも言われる。

以下の写真は、天海の甲冑だったらしい。
僧侶なのにこんなすごい甲冑を持っていたのか。
しかも、兜の前立て(正面の飾り)は、「麒麟」である。

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光秀=天海説はロマンがあっておもしろいが、近年光秀と天海の筆跡を鑑定したら別人だったとの話も。

■2.明智煕子

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ドラマではステキな奥さんだった。彼女が光秀と結婚した時は、あまりに素早く、あっさりしていたので驚いたが。
彼女は、ドラマでは病没したことになっている。
光秀が重病で伏せっていたときの看病疲れだったとも言われる。看病疲れで亡くなるとは、一体どんなすごい看病をしていたのかとも思ったが、持病もあったのかもしれない。
別説には、山崎の戦いのあとに光秀の居城・坂本城で使用人たちなどに金目の物を分けてやった上で、明智左馬助(秀満)の手で刺し殺されたとも。どちらにしろ、夫に尽くした女性だったことが窺える。

■3.明智左馬助(秀満)

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ドラマでは明智左馬助の名で通っていた。藤田伝伍、斎藤利三と並ぶ重臣としてもっと活躍が見たかった。
彼は、のちに荒木村重の息子のところから出戻ってきた光秀の娘(ドラマでは「たま」の姉の「岸」と呼ばれている)と結婚している。
彼には、山崎の戦いの後、近江坂本城へと戻ろうとして敵軍を避けるために琵琶湖を馬と共に泳いで渡って城へ戻ったという「湖水渡り」の伝説がある。
最近になってそれが全くの伝説ではないことを示す史料も発見されている。

彼の辞世の記事のビジュアルはその湖水渡りをイメージしたつもり。

■4.細川ガラシャ(たま)

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ドラマでは、ハツラツとした聡明そうな娘だった「たま」。
その後の彼女の運命は川面に流れる木の葉のようだった。
父親光秀の信長への謀反があり、キリシタンになり、夫である細川忠興ともうまくいかなくなって・・・。キリスト教信者として最後に自害することもゆるされなかった彼女は、夫の家臣に胸を突かせて亡くなり、屋敷を爆破させたとか。
松永久秀ばりの壮絶な死である。

■5.細川忠興

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美人で聡明な細川ガラシャの夫。
ガラシャが好きすぎて、嫉妬深かったらしいが、彼女を凄く大事にしたのかといえば、一概にそうともいえないヤンデレな武将だ。
ドラマではかなりのラブラブぶりを見せていたが、「この男がああなるか・・・」などと考えながら少し冷ややかな目で見たものである。

■6.斎藤道三

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周囲にいる者にしてみれば、かなりやっかいなヤバい存在だったかもしれない。だが、道三の人生は面白い。一介の油売りの父子が、主君の家を乗っ取り、のし上がって「国盗り」しちゃうのだから。こういうバックグラウンドが「濃い」人物は、ドラマの中でも存在感があるなーと感じたものだ。
モックンの演技もよかったけれど。
剃髪してもカッコイイ。

■7.斎藤義龍(高政)

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この人物の人生は、悲劇だろう。
斎藤道三の実子ではなく、美濃の守護・土岐頼芸の息子かもしれない・・・という光のような闇のような噂で複雑で屈折した義龍を作ってしまった。
そして道三を討って「父親殺し」をした男と言われた。
どっちが本当の父親!?
ドラマではそのあたりの哀しさも描かれ、決して暗愚な人物ではなかったことも示されたところはよかった。何度も光秀にアプローチして断られるのが気の毒ではあったが、史実はどうだったか・・・。


■8.徳川家康

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この人くらいドラマの中で安心して見れる登場人物は他にはいなかった。
絶対に死なないし、絶対に成功することわかってるからね。
光秀と意気投合しているところなどを見せられるにつけ、ある程度「麒麟がくる」の終わり方について想像がついた人も多いのではなかったか。
健康オタクであり、金塊を貯め込みながら質素倹約に努めたともいう。
どれもこれも徳川家の存続のためだったらしいが、大成功した人物であることには間違いない。
やはり彼が「麒麟」を連れて来た人物なのではないだろうか。

■9.豊臣秀吉(木下藤吉郎)

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このキービジュアルが好きだ。まだまだ木下藤吉郎だったころの彼。
瓢箪をかついでいるが、彼の甲冑姿のときの兜には金の瓢箪がついていたね。

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のちに出世してから龍に変わったようだが。
ドラマでは後半悪役になってしまったが、光秀目線のドラマになると致し方がない。最初の頃は元気でおもしろいキャラクターだった。

彼は山崎の戦いで光秀を討ち、主君・織田信長の仇を取ったが、備中高松からどうやってすばやく京まで戻って来れたのかが、戦国史のミステリーの一つでもある。
明智光秀の謀反の可能性を見越しており、準備をしていたから「中国大返し」が成功したのだという説を取ったのがこのドラマだが、最近の研究でかなり信憑性の高い説だと考えられている。


■10.今川義元

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金山で儲けて、京の公家衆たちのスポンサーにもなっていたので、自分自身もかなり公家化していた、などと言われる。白粉を塗って、お歯黒をしていた、と軟弱な武将っぽくドラマに描かれたことも少なくない。
だが「麒麟がくる」では強いイメージで、なかなかのインパクトだった。
彼の最期のときに、恐怖に見開いた義元の瞳の中に刀を構えてジャンプしてくる毛利新介(良勝)が迫ってくるのが映り込み、迫力があった。


■11.朝倉義景

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ドラマでは、ふにゃふにゃの部分があるかと思えば、さすが戦国武将らしい芯のある部分もあり、そんなとらえどころのない不思議キャラクターぶりだった。結局、この人物は戦いなどせずに、小京都とよばれた洗練された越前で平和に暮らしたかったのではないだろうか。
身内に騙されるようにして迎えた義景の最期。ドラマではもっとじっくり描いてもらいたかった。


■12.武田信玄

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かなり肖像画に寄せて作られたドラマの中の武田信玄。最近では、あの肖像画は違う人物だったという説が通説になりつつあるが、ここは「いかにも信玄」といったキャラでドラマに登場した。
残念ながら、彼が活躍するシーンはほとんどなかった。上杉謙信など顔も見せなかったので、まだ出番があっただけマシだったかもしれない。
すごいトイレを作った、現存する男性宛のラブレターなど、武勇以外にも信玄だけで話題に尽きないんだけど。

■13.松永久秀

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このキャストビジュアルを見て、当初彼の有名な「爆死」に期待したファンも多かったらしい。残念ながらドラマでは爆死ではなかったが、彼が「麒麟がくる」にいい味付けをしたキャラクターだったことは間違いない。
ワルのイメージが強かった武将だが、ドラマ中ではとても人間味のある役柄で、人気があったのではないかと思う。
残念ながら彼が爆死したという逸話は、本当ではないらしい。
一緒に爆破されたはずの茶釜「平蜘蛛」も現存している。
戦国百人一首の画像もばああんと爆発するのをイメージしたものではあるが。

■14.筒井順慶

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僧侶の袈裟をカッコ良く着こなしているのが、ドラマの筒井順慶だ。
「お坊さん」というよりは「わけのわからないスッゲー強い人」感があふれている。この人物なら、松永久秀に対抗できるというものだ。
もともとは奈良の興福寺の有力な宗徒(信者)から武士団を形成していった家の出身。袈裟はファッションだけではない。

■15.足利義輝

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ドラマでは聡明なイメージが先行した将軍義輝だが、実はかなりの武闘派だった。歴史上の征夷大将軍の中で刀を取って戦える将軍がどれほど存在しただろうか。
義輝の悔し涙に共に涙したり、最期に見せる立ち回りに惚れた人もいたのではないかと思う。そもそも、明智光秀に「将軍」という存在への畏敬の念を抱かせたのは、彼の存在があったからだ。

■16.黒田官兵衛(如水)

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羽柴秀吉(豊臣秀吉)の出世に欠かすことのできなかった竹中半兵衛と並んで参謀として活躍した黒田官兵衛は、ドラマでももっと活躍すると思っていた。官兵衛の登場に喜んだのもつかの間、あっというまに出番が終わってしまってもったいない。荒木村重の信長への謀反のとき、有岡城へ説得に行った官兵衛は長期間囚われてしまい、足を悪くしたのだが、登場シーンで足をひきずって歩いていたのに気が付いた?


■17.日海(本因坊算砂)

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ドラマの中で本能寺の変の前日、信長が誰かと囲碁をしているシーンがあったかと思う。特に説明もなかったのだが、どうやら一緒にプレーしているのが算砂こと日海だったらしい。
算砂が本能寺で囲碁をしたのはホントの話。

■おわりに

ここにご紹介した明智光秀関連の辞世に登場していないドラマの「あの人」のことに気づいた人もいるかもしれない。
辞世を100人分集めて紹介する自分プロジェクトはまだ続いているので、これから追加されていく人もある。(実はもう100人は決定済み)
機会があれば、またご覧いただきたい。

ここまでお付き合いありがとうございました。