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日本史関連の記事

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#徳川家康

真田幸村の辞世 戦国百人一首70

真田幸村(1567?-1615)の名前は通称とされており、諱(いみな/実名)は信繁(のぶしげ)であ…

本多忠勝の辞世 戦国百人一首69

前回、68番目に紹介した徳川家康の辞世で、「三河武士」というものを紹介した。その典型がこの…

徳川家康の辞世 戦国百人一首68

徳川家康(1543-1616)の死因が「鯛のてんぷらの食べ過ぎ」もしくは「食中毒」という話もあっ…

武田信玄の辞世 戦国百人一首61

武田信玄(1521-1573)には持病があり、亡くなる前には喀血を繰り返していたという。 彼の病名…

宇喜多秀家の辞世 戦国百人一首58

宇喜多秀家(1572-1655)は、元服の時に豊臣秀吉から「秀」の字を与えられて名を「秀家」とし…

筒井定慶の辞世 戦国百人一首㊽

実は、筒井定慶(つついじょうけい)(1556?-1615?)は、よくわからない部分の多い人物であ…

初代本因坊 算砂の辞世 戦国百人一首㉘

わが国最初の囲碁棋士、これが算砂(さんさ)(1559-1623)である。 将棋の名手でもあった。 戦国の三大英傑である織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に囲碁を指導したという算砂が遺した辞世には、囲碁が登場せずにはいられなかった。 この世を去るというときに、算砂の辞世は笑いを誘う。      碁なりせば 劫(こう)など打ちて 生くべきを       死ぬるばかりは 手もなかりけり もし囲碁であれば、死にそうな局面でも劫で粘って生きることもできるのに、自分が死ぬとなると打つ手がな

鳥居強右衛門の辞世 戦国百人一首⑤

鳥居強右衛門(1540-1575)という足軽が生涯で注目されたのは、長篠の戦いのとき1度だけだ。 …