陶晴賢の辞世 戦国百人一首65
陶晴賢(すえはるかた)(1521-1555)は、大内氏の家臣のうちではトップの実力者だった。
1551年の大寧寺の変で、文化的活動に傾倒した主君・大内義隆に叛き、彼を自害へ追い込んでいる。
その後義隆の姉の子・義長を17代当主として大友氏から迎えたが、実際は晴賢が大内氏の実権を握った。
何を惜しみ 何を恨みん 元よりも この有様に 定まれる身に
この有様になること(死ぬこと)は、生まれたときより定められていたことだ。いまさら何を惜しみ、恨むことがあろうか。
かつて大内義