誕生日ケーキ

 

 そういえば今年、久しぶりに誕生日ケーキを食べたので小話を。
 美味しかったってのもあるけれど、やっと食べられたなって気持ちがそれなりに大きかったので書いてみる。

 記念日を気にしない人間なので勿論自分の誕生日なんて気にするわけもなく、人付き合いも少なくなった今となっては数日後にカレンダー見て思い出すなんていうのもザラであった。ここ数年だとセンター終わったなあ、あっ、もう私大入試じゃん!か2/4近づいてきたなあ……で思い出すような毎年。自分で書いていて虚しくなってきたな。
数年前までの1人でどこへでも行くフットワークの軽さを今も持っていたらこんな話はしなかったんだけど、今となっては相手がいないと計画して満足する人間になってしまったんだ……

 今年…は無理なので20代の目標は自分で自分を認めてあげることです、よろしくお願いします。

趣味が増えない話

 唐突だけどいろんな人に振られる話題の一つ、趣味。相手は共通店を探して会話を広げたいのだろうけど、無趣味なもので困ると共に申し訳なくなる。これがペアで自己紹介してそのあとでほかのメンバーに他己紹介の流れとかだと穴に入りたくなりますね。 これはドがつく陰キャの妄言なのだけれど、ここで言わないほうがいい趣味ってのもあって、例えば世に「The オタク」って思われているものとか、敷居の高いものとか。多分旅行とかドライブの話は食いつく人多いけど、車とかバイクの話されたらきっと大多数はあっふーん……か、えぇ……ってなるでしょ?部活でテニスはやっていてたけど、錦織圭や大坂なおみ追いかけて大会の中継見るかと言えば全く見ないし、開き直ってしまうと野球サッカーバスケ相撲あたりのスポーツは全く興味がなければ選手の名前も知らないくらいである。 こんな調子なので趣味を増やしたいとは思っているんだけど、一人で何かを始めるのは思った以上の以上に腰が上がらないもので。にも書いたけど、田舎に娯楽は少ないんですのよ。散歩は好きだし歩くのも苦にはならないけど、住み慣れた田舎散歩しても気になるお店見つけられるわけでもなければ、新しい発見があるわけでもない。かといって季節の移ろいを実感できるほど自然にあふれているかと言われれば、答えはNo.ただ閉塞感に襲われるだけなのである。 飽き性の自覚はあるんだけど、自転車飛行機自動車の経験的に同時に機材に興味がわきがちな人間なのも分かってはいるので、落ち着いたらカメラでも買いなおそうかなとは思ってる。自転車の時もそうだったんだけど、アップグレードで最終的に費用かさむくらいなら最初からそれなりのスペックが欲しいタイプなのでいつになるやら……(オタクやめない限り無理だよ……)


常識

 頭につくのは「まだ」なのか「もう」なのかはわからないけれど、人生も22年目を迎え、どうしても価値観が合わない人も老若男女たくさん見てきた。クチャラーとか漫画村で漫画を読みmusicFMで音楽聞くような人間とか待ち合わせ時間過ぎてから「ごめん今日行かれないわ」って宣う人とかね。 最初に断っておきたいのだけれども、育ってきた環境が違えば常識が違うのはあたり前で、決して僕が常識人であると言いたいわけではない。 僕だって人込みには行きたくないし、目当てのもの以外で(目当ての物でも極力)並びたくないし、某夢の国誘われても「デ〇ズニぃい?なんで並ぶのに大金払わなきゃいけないの?」って言ってしまう人間なので(そういうとこやぞ)(いつかいいレンズ勝ってパレード撮りに行くのはやってみたい)。 家がケーキを出すようなイベントに消極的なの(タイミング的に反抗期頃だったし‘’なった‘’のほうが正しいかもしれない)も小学校高学年にもなればそういうもんだよな、って他所をうらやましいと思うこともなかった。なるべくして今の僕になったっていうのは否めないかもしれないけど、別にそのことで恨んだりもしてない。 手のひら返しをするようだけど、父親も並ぶのが大嫌いでこの親にしてこの子あり(?)って感じで人込み嫌い行列嫌いイベント無関心な僕が出来上がったわけである。


ここまで書いてきたけどクチャラーより数段タチ悪くないか?いやあ申し訳なさすぎるしここまで付き合い続いてる人たち仏か何かか?


一番難しいのは自分で自分を認めるということ

 冒頭で書いたこれの意味分からない人それなりにいそうじゃないですか。幸せなことなので、こちら側に足を踏み外さないようにお気を付けください。
 同期の子に言わせてみれば意思薄弱(意志もだけど誤字ではない)らしいんだけど、これは自分でも分かってるし、又聞きで耳に入った時は流石に少しイラっともしたのは今でも覚えているどころかかなり昔の(本人は僕がその発言を知っていることさえ知らないし多分忘れている)話なのに今更掘り返すんだから、意思がどうの以前にイイ性格をしすぎている(だからそういうとこやぞ)。
 推しの誕生日にはそこまで好きでもないのに、推しが好きなチョコレートケーキをホールで買うような人間が、この歳になってカットされたケーキさえも買えないかと言えば簡単な話でめでたくないからで、珍しく祝ってもらっても「別にいいのに」ってなるのは自己肯定にポイント振るのを忘れてしまったからなのかな。だから人前でケーキ食って誕生日ケーキですってあげたのは個人的には大きな一歩なのである。眞踏のケーキ、いつもながらに非常に美味しかったですね(ダイマ)。
 自己肯定の低さというものはなかなか厄介で、いくら他人に褒められたりしても本心じゃないと疑心暗鬼してしまいかねないし、コミュニティが狭くなりかねないので負のスパイラルに陥りがちである。
 僕はこれに加えて無趣味に近いので新しいコミュニティ築くのをおっくうに感じてしまいがちなので、いかに今までに繋いできた輪を切らずに続けているかなの、ハードモードが過ぎません?がんばろうな、っていう22年目の抱負。

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