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映画「AKIRA」を見た年末年始と俺の金田さん

 今回の投稿では、映画『AKIRA』をみた感想を書く。この映画をみて思ったのは、「俺にとっての金田はいたのか」という問いだ。考えたことを記録として書き起こす。

□金田さんというボス

 さて、「AKIRA」の主人公は金田さんだ。アキラではない。
 「NARUTO」を見て育った私は、アキラはいつ出てくるのかと思いながら観ていた。
 
 本映画はアニメ演出や過呼吸BGMなどと、気になる部分に事欠かない。かっこいいバイク×セカイ的超能力×コンプレックスが組み合わさったストーリーが展開される。

 主人公の金田さんは、格好よくふるまっていく。不良チームのリーダーであり、自分以外の誰にも運転できないほどピーキーな改造バイクを乗り回す。

 そんな金田さんと幼馴染であり、同じチームに属しているのが鉄雄である。この鉄雄という男は、小さい頃から金田さんに守られる場面が多かった。
 そんな経験から、金田さんの方が立場が上だと身に沁みついてしまっている。金田さんの命令を聞いてはいるが、無力感や認められていないことに苛立ちながら過ごしていた。

□金田さんに対する鉄雄の劣等感

 そんな鉄雄はトラブルをきっかけに超能力を手に入れる。
 金田さんも簡単に吹っ飛ばせるほどの能力を手に入れたが、劣等感からの疑似的な解放は、さらなる力の渇望を鉄雄にもたらした。
 
 私は常々、人格というものは非常に繊細なバランスの上で成り立っているのではないかと考えている。
 急激な変化はどんなものであれ人格を保持することが難しくなるため、人は無意識に変化しないことや緩やかな変化を望む。

 鉄雄の姿を見ていると、超能力を手に入れるまでの体験や監禁中の恐怖だけでも個人のキャパシティを超えている。
 しかも、脱出が叶いそうになり助かったと思ったところで、コンプレックス上の仇敵である金田さんが「助けに来たぞ」などと言いながら急に登場するのだ。

 緩和からの緊張である。たまったものではない。鉄雄の人格は大きくバランスを崩してしまう。

□俺には乗りこなせないバイク

 金田さんは何がすごいのだろうか。
 それは、『AKIRA』の世界で生きのびることである。

 作中、金田さんのストーリーが終わってもおかしくない場面がいくらでもあった。しかし、生き延びる。
 
 金田さんのそんな凄さを象徴しているのが、金田さんの乗る赤いバイクだ。
 あるとき、その赤いバイクに鉄雄がまたがり構造を見ていた。そこで金田さんが鉄雄にかけた言葉は次のものだ。

俺用に改良したバイクだ。ピーキー過ぎてお前にゃ無理だよ。

 鉄雄はバイクから降り、自分のバイクに乗りながら、金田さんに聞こえるか聞こえないかという音量でつぶやいた。

乗れるさ

 そんな鉄雄の精一杯の強がりは、金田さんに「ハハッ」と笑われて一蹴される。もちろん鉄雄自身も、自分が金田さんのバイクに乗れないことなんて分かっているのだ。だが、自分のことをそのように認知することが耐えられないのである。

□おわりに「俺にとっての金田」

 この映画を見て自分に立てた問いは「俺にとっての金田はいたのか」だ。
 その答えは、「全ての場面において金田さんを見出した」である。

 人間は生まれながらにして平等ではないと感じることがある。
 10歳未満のときは体が大きくて力が強い奴や、欲しいおもちゃを買ってもらえる奴が対象だった。それ以降は、クラスの人気者やボスになっているものに対して劣等感があった。

 変な話である。同じ年月を生きてきたのに、なぜこうも違うのか。
 そんなことばかりを20歳になるくらいまで考えていた。いや、29歳になった今でも考えることがある。自分には何もできないのだから、どこを探しても自分のとるべきポジションがないと悩む。
 共通している特徴は、同い年であることだ。思い返せば年上や年下と自分を比べることがなかった。

 同い年だと、ふとした拍子に自分と比較しやすいのだろう。
 自分にはできないことをできる人、人より上手にこなす人がいることや、クラスに対して命令を下す人がいることを受け止めることができなかったのだ。
 
 私と鉄雄の違う部分は、金田さんとの距離感である。
 私は金田さんとは、徹底的に距離をとってきた。自分にコントロールできるのは、金田さんとの距離だけだと考えていた。
 一方、鉄雄と金田さんの距離は近い。チームに属していると距離感はコントロールしにくいだろう。

 鉄雄は超能力を、金田さんとの間の力関係を逆転させることと、自己の探求に使うことを選択した。

 この力の使い方が作中でもキーワードとなっている。

でもその力が目覚めた時、たとえその準備ができていなくても、その人は使い方を選択しなくてはいけないの

私たちにも選べる未来があるはずよ

 もし今急に私が力を急に手にしたら、コンプレックスから全力で距離をとり、その先に行きついた未来の悲惨さを観測することに努めることだろう。

 あまりにひどい着地点になってしまった。

 2023年最初の記事だ。
 もう少しましな選択肢を見つけることができるよう、物事を考える際はネガティブとポジティブという両方の視点で考えることを、2023年の抱負とする。

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