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息をするように本を読む113 〜塩田武士「罪の声」〜  

 この本を最初に読んだのはずいぶん前のことだ。
 先日、この物語のモデルになったある事件が起きてから40年が過ぎたという記事を新聞で読んだ。夕食後、家族でその話をしてこの本のことを思い出し、本棚の奥から出してきた。
 パラ読みするつもりだったのに引き込まれ、そのままマジ読みしてしまった。

 物語のモデルになった事件とは。
 覚えておられる方も多いだろう。
 日本の犯罪史でも稀有な、大規模劇場型犯罪。グリコ森永事件。
 警視庁広域重要指定事件に指定されたにもかかわらず、未解決に終わった最初の事件でもある。

 和文タイプの挑戦状と脅迫状を使い分け、新聞を始めマスメディアを散々に利用して警察や国民を翻弄愚弄し、やりたい放題をやってのけた凶悪犯罪だ。
 
 事の起こりは1984年の3月に起きた、有名な菓子メーカー、江崎グリコ株式会社の社長の誘拐監禁身代金要求事件だった。
 まだ深夜とは言えない午後9時過ぎの西宮の高級住宅街で起きた、成人男性を自宅からいきなり拉致するという甚だ荒っぽい誘拐事件に、世間は震撼した。
 犯人は3人組で、1人は逃走車のドライバー、2人は火器を所持していたという。
 「大企業のトップ誘拐さる」の一報の後、警察とマスコミ各社との間に報道協定が締結され、しばらくは何の続報もなかった。
 やがて事件から3日が過ぎ、自力で監禁場所から逃げ出した被害者の社長が保護された。
 社長の無事が確認されてとりあえず一同がホッとしたのも束の間、この後もグリコに対する執拗な脅迫は繰り返される。
 再三に渡り金銭を要求されたうえに自社倉庫へ放火され、疲弊したグリコにとどめを刺したのが、グリコにではなく警察への挑戦状という形で大手新聞社に届けられた「グリコ製品に青酸カリを入れてばら撒く」という脅迫状だった。
 たちまちに売り場からは製品は撤去され、株価は暴落、グリコはとことんまで追い詰められる。
 
 さらに、その間隙を縫って他の食品会社への脅迫があったこともあとから明らかになる。
 標的になったのはわかっているだけでも、森永製菓、丸大食品、ハウス食品、不二家、駿河屋など。
 犯人たちは、初手はそれぞれの企業宛てに脅迫状を送って金銭を要求し、その後、新聞社に警察への揶揄をてんこ盛りにした挑戦状を送りつける。

 大衆は、殊に関西人は、権威を毛嫌いする傾向がある。
 警察は国家権力、大企業は経済権力の象徴だ。
 その両権威を手玉にとり翻弄する犯人たちのやり口は、関西弁の軽妙洒脱(を装った)な挑戦状と相まって世間の関心と興味を惹いた。
 言葉を選ばずに言えば、無力な警察を批判する体を装いつつ、事件の経緯を面白がっていた輩も多くいたようだ。その証拠にテレビ、週刊誌では連日、この事件を派手に取り上げた特集が組まれ、高視聴率、高売り上げを上げた。
 
 物語では、グリコをギンガ、森永を萬堂と言い換え、関係者の名前は全て違う名前になってはいるものの、事件発生の日時、場所、経緯、犯人グループの脅迫状や挑戦状の内容、その後の事件報道などは全て史実通りに描かれている。
 その取材力と情報整理の緻密さは、著者が元新聞記者であったことに大いに関係していると思われる。
 そして、既に判明している事実を基礎にして不明な部分は作家の見事な想像力で補い、読み応え満点のフィクションに仕立てている。
 
 この事件では、年端もいかない子どもたち3人が、おそらく、それとは知らずにある重要な役割を果たしたことはよく知られている。

 犯人が企業に金銭を要求した際、その受け渡しの指示の電話の声が子どもの声だった。
 10代の少女ひとりと、小学生低学年くらいの少年ふたりの声。おそらく紙か何かに書かれたものをわけもわからずに朗読させられ、それを録音したものだろうと思われる。
 
 結局、この事件は数え切れないほどの手がかりを残しながらも、発端から1年半後に犯人グループの一方的な終結宣言で幕を閉じ、誰1人として逮捕することはできなかった。
 事件そのものも、もう時効が成立している。
 しかし、この子どもたちは、今もおそらくどこかで生きている。自分の声がこんな事件に、犯罪に利用されたことを知っているのか、知らないのか、それすらもわからない。
 そしてこの子どもたちの親は? 自分の子どもの声をこんなことに使うことを許す親が、果たしているのだろうか。

 物語は、全く面識のない2人の人物が、その発端から31年が過ぎた(この作品の舞台は2015年)事件をそれぞれの事情により、再調査するところから始まる。
 
 ひとりは京都でテーラーを営む曽根俊也。 
 自宅の物置に隠すようにしまわれていたカセットテープを見つけ、その中に録音されていた声が幼いときの自分の声であり、その内容がかつて世間を騒がせた企業脅迫事件に関連するものだということを知る。
 なぜ、このテープがここにあるのか。今は亡き父が、あるいは自分に近しい誰かがあの事件に関わっていたのだろうか。俊也は底の知れぬ不安に襲われながらも、真実を知ろうとする。
 
 もうひとりは大日新聞社文化欄担当の新聞記者の阿久津。社会部の年末特集で31年前の事件を連載することになり、その応援に駆り出される。鬼より怖い上司に怒鳴られながら慣れない事件取材に走り回るうちに、この事件の持つ深淵に迫ることになる。

 俊也と阿久津、ふたりが時間差で同じ場所同じ人物をそれぞれのやり方で取材し、埋もれていた真実に繋がる糸口が少しずつ見えてくる。
 その細い細い糸がやがて、ひとつに結びついていく、その緊張感が絶妙。
 そして、元々は事件の真相に迫る目的や動機がまるで違うふたりが、最後に共通の思いと願いを見つける。
 それはいったい何か。
 終盤は、一気読みだった。

 本を読むことは私には特別のことではない。生活の一部であり、呼吸することと同じことだ。
 
 作品の中で、ある新聞記者が言う。
「これだけの事件を警察が総括してないこともおかしいけど、スクープ合戦に明け暮れて劇場型犯罪の舞台を提供したマスメディアも、当時の報道について何ら結論を出せていない」
 これは、一時期報道に関わる仕事に就いていた著者の心の声かもしれない。(もっともこの事件が起きたとき、著者はまだ子どもだったが)

 大衆の注目を集めやすいインパクトのある事件、ストーリーを作りやすくて記事にすると『面白い』事件。
 今も、そんな事件が起きると、また同じことが繰り返されている気がする。
 反省や自戒の色もなく。
 
 そしてそれは、報道する側にだけでなく、ニュースを受け取る側の私たちにも責任の一端があるのではないかと思う。


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