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息をするように本を読む106 〜朝井リョウ「正欲」〜

 今から私がここに書くことに、腹を立てたり気を悪くされたりする方々がもしかしたらおられるかもしれません。
 これは私が日頃からぼんやりと考えていること、そして、この本を読んだことで、もう少しはっきりと形を持って感じた正直な感想です。
 あくまで本の感想文ということで、ご容赦願えれば幸いです。

*****

 みんな違ってみんないい。

 一時期、よく引用された有名な詩人の言葉がある。
 とてもいい言葉だと、思う。
 確かにそのとおりだと、思う。
 思う一方で、この言葉を発したのはどちら側に立つ人なのだろう、と考えてしまう。
 その他大勢から「違っている」と言われ、自分でもそう思っている人たちが、果たしてこの言葉を口にすることができるのだろうか。
 そして、大多数の「違ってない」側からこの言葉が発せられたとき、それはどんなふうに響くのだろう。

 多様性、という言葉が使われるようになって久しい。
 正直、私自身はこの言葉を正確に理解できていない。
 あちこちで使われているのを見ても、それが同じことを指していると思えない。
 言葉だけが独り歩きをしているようにも感じてしまうのだ。
 

 この本のタイトルの「正欲」とは、どういう意味なのか。
 正しい欲望?
 正しい、とは何だ。
 人間として、当たり前に持つ欲望のこと?
 では、当たり前とは何だろう。
 その当たり前から外れた欲望は、正しくない、のだろうか。通常ルートから外れた、バグなのか。
 その、正欲でない欲望を持つ人は、正しい欲望を持つ人たち、おそらくは大多数の人たちに、説明して理解してもらわなければならない存在、なのだろうか。

 この物語の主人公は、複数いる。
 というか、数人の登場人物の目線で語られる物語が連なってひとつの物語になっている。
 その複数の中に、いわゆる「正しい」側にいる人たちと、そちらから見て「違っている」人たちとがいて。
 

 寺井啓喜。40代の検事。
 郊外に建てた一軒家に専業主婦の妻と小学生の長男と住んでいる。
 5年前に有名私立小学校に合格した長男は、不登校になって1年半になる。
 彼には、学校へ行かない(行けない)長男の気持ちは理解できない。しようとしない。
 なぜなら、啓喜は「正しい」側だから。

 桐生夏月。30代の派遣社員。
 家族とも疎遠、友人もいない。
 勤め先の同僚との昼休みの雑談(ほとんど相手が喋るのだけど)にうんざりしている。
 どうでもいいような話を聞かされ、意見や同意を求められても苦痛でしかない。
 夏月には、同僚たちの言うことの意味は理解できても、全く共感できることはない。でも、それを知られるわけにはいかない。
 なぜなら、夏月は「違う」側だから。

 佐々木佳道。夏月の中学時代の同級生。
 ずっと他人と「違う」自分を、隠して生きてきた。誰にも、親にさえも。
 交通事故で両親を亡くしても、悲しみよりも安堵を感じた。
 なぜなら、自分が「違う」側であることを最後まで知られずにすんだから。
 
 神戸八重子。女子大生。容姿にコンプレックスを持ち、引きこもりの兄がいる。そのためかどうか、異性の目が怖い。恋愛恐怖症でもある。
 八重子は大学でのイベントをきっかけに、「自分のような」マイノリティの立場の人たち同士を繋ぎ、共に一歩を踏み出す手助けをしたい、それによって自身も前に進みたい、と考えるようになる。
 そんな彼女が、密かに心惹かれた同じ大学の諸橋大也。
 八重子と違って、異性を惹きつける容姿に恵まれた彼は、しかし、人との関わりを拒絶し、最低限の関係しか持とうとしない。
 八重子は考えた。彼には何か、人と関わりたくない秘密があるのだ。自分とはまた違う、何か悩みがあるに違いない。
 ずっと、自分は他の女の子たちとは違う、と悩んできた私なら、彼の悩みを聞いてあげられる。理解してあげられる。日の当たる場所へ、一緒に歩くことができる。
 八重子はそう夢見るのだけれど。

 夏月と佳道は繋がることができた。いつ解けてしまうかわからない、脆い絆かもしれないけれど。
 八重子が差し伸べた手を、大也が取ることはなかった。それがよかったのか、悪かったのか、誰にもわからない。
  
 自分を「違う」側だと思う者たちは、どうせ、理解できない受け入れられないのなら、放っておいて欲しいと願う。
 わかってもらえるかもと思いながら、何度も絶望するのは、何度も殺されるようなものだ、そんな思いはもうしたくないと思う。
 そう思いながらも、同じ側にいて本当に分かり合える他者となら繋がれるかもしれないと願っている。
 その誰かのために、明日も生きていようと思いたいと願っている。

 ……何でお前らは常に自分は誰かを受け入れる側っていう前提なんだよ。俺たちは、お前らに理解され受け入れてもらわなきゃならないのか。
 ……お前らの言う理解って結局、我々まとも側の文脈に入れ込める程度の異物かどうか確かめさせてねってことだろ。
 登場人物のひとりがそう叫ぶ。
 
 夏月の、佳道の、大也の、ずっと抱えてきた絶望と失望と諦めが、心に痛い。
 
 どうしてこんなことになってしまったのかと思う哀しさと虚しさの漂う終盤、佳道へ向けた夏月の「いなくならないから」の言葉が、たったひとつの希望に思えた。

 ただ、その一方で感じるのは。
 自分は「正しい」側にいると信じている者たちの心の奥底にも、本当にそうなのかという小さな棘が存在するのではないか。自覚無自覚にかかわらず。
 まるでマルバツ問題を解いているかのように、この自分の言動、考え方が、果たして正解か不正解か、そんなことを常に考えながら生活している。
 ある日突然、「ブー」と音がして、ピコンとバツの札が立つのではないかと、心密かに怯えながら。

 本を読むことは私には特別のことではない。生活の一部であり、呼吸することと同じことだ。
 
 相変わらず、朝井さんの紡ぐ物語は、何というか、痛い。
 読むと、しばらくの間、小説の中のいろんな場面が頭から離れない。
 続けて何冊もは読めない、と思う。
 でも、しばらくするとまた読みたくなる。
 
 次はいつ読めるだろう。

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#多様性って何


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