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息をするように本を読む116〜陳浩基「13・67」〜

 「借り物の場所、借り物の時間」という言葉がある。
 香港の置かれた立場を、かつて香港出身の女性作家が自分の著作で表現した言葉だそうだ。

 遥か昔、中学生の頃、父の仕事の都合でシンガポールに3年ほど住んでいた。
 その頃はシンガポールへの直行便はなくて香港でいったん降りて乗り換えなければならなかった。
 
 今から40年以上も前の香港。
 当然、当時はまだイギリス領植民地(実際に「植民地」なのは、香港島と九龍半島だけでそれより内陸部の新界は、あくまで「租借地」という立ち位置だったのだけど)だった。
 私たち家族は、海外に行くのは初めて、何なら飛行機に乗るのも初めて、だったから、かなり舞い上がっていたらしく、記憶がいろいろと曖昧なのが残念だ。
 
 私が香港で最初に見たのは、着陸のために高度を下げた飛行機からの、真っ青な海とその海岸線ギリギリまで迫る鮮やかな緑の山、そのふもとから這い上がるように並ぶマッチ箱のような小さな茶色い建物群だった。
 着陸のためにその山肌ギリギリを飛ぶ飛行機に少々ビビったが、ここがホンコン・アプローチと呼ばれて、世界で最も発着の難しい場所のひとつだということは後から聞いた。
 
 海辺を縫うように走る自動車専用道路を通って向かった中央市街は高層ビルが立ち並び、びっくりするほどきれいに整備されていた。
 宿泊先のホテルの表構えは煌びやかだったし、夜の窓から見える街はネオンがキラキラしてきれいだったけど、朝になって裏窓のカーテンを開けて見下ろしたそこに見えたのは、朝日に照らされて白茶けた色が際立つ下町のゴチャゴチャした街並みだった。明らかに違法と思われる建て増しだらけで、形がデコボコしていていたり、妙に頭でっかちで、大丈夫だろうかと少し心配になるような建築物ばかりだった。
 何かの弾みで手摺りが外れないだろうかと不安になる物干し台や窓には洗濯物がバタバタとはためき、細い路地を原付バイクや自転車の行き来するのが見えた。
 観光客向けに取り繕った街の、その裏を見た気がした。
 今の私なら、そこに溢れる、日々をたくましく生きる市井の人々のエネルギーを感じたかもしれないが、その時の私には、香港はキラキラとゴチャゴチャが同居している不思議な街、そんなふうに見えた。
 
 当時の香港は治安が最悪だとアジア駐在の日本人の間でよく言われていて。
 シンガポール日本人学校から香港の日本人学校に転校した友達から届いた手紙(昭和ですねえ)には、転校してすぐに学校の先生方に、保護者共々くれぐれも危ない行動はしないようにと念を押されてビビった、とか。
 曰く、子どもたちだけでの外出は厳禁、いわんやひとりで外に出るなんてもってのほか。
 外出先でも、大型ショッピングモールや公園、そう言ういかにも危ない場所には見えないところであっても、子どもからは絶対に目を離さない、子どもは同伴者から絶対に離れないこと。
 かの悪名高き九龍城砦は、1980年代に取り壊されて今はもうないが、当時はまだバリバリの現役で、まさに治外法権の砦、迷い込んだらまず、無事では出てこられないから絶対に近づいてはいけない、云々。
 
 まるで魔都、扱い。
 少々話は盛られているかもしれない。
 でも、そこを差し引いても、1970年代の香港は非常にデンジャラスで、だからこそ非常に魅惑的な街だった(もしくはそういうイメージ)のだ。
 
 遥か昔、明の時代に香木の交易港だったことからこの美しい名で呼ばれるようになった香港は、それからもいくつも困難を乗り越え、そして今現在も、まだ試練の只中にあると言っていいだろう。
 もしかしたらまだ、香港はある意味では『借り物』のままなのかも、しれない。
 
 
 物語の舞台は、この香港。
 6篇の短編で構成されていて。
 それぞれに、香港にとって象徴的な出来事があった年が背景になっている。

 1967年。中国で文化大革命の嵐が吹き荒れたその翌年。香港では大革命の煽りを受けた左派反英主義者により労働者暴動が頻発、中国を頼みにする共産党派と英国をバックにつけた香港政庁派の対立が先鋭化し、多くの市民が騒動に巻き込まれて生命を落とした。

 1977年。常態化していた香港警察の目に余る汚職体質を正すため、3年前に政府機関直属の廉政公署という機関が設立されたのだけど。
 そのあまりに厳正な取り締まりがかえって猛烈な反発を呼び、公署前で警察官たち本人によるデモが行われる、という何とも笑えない珍事が起きた。

 1989年。国際都市として大きく経済発展を遂げ、豊かさと自由を謳歌していた香港の中国への返還が正式に決まり、これから先、いったいどうなるのかという不安な思いの中、本土で起きた天安門事件、それに対する中国当局の締め付けがさらに香港社会に影を落とす。

 1997年。言わずとしれた、中国への返還の年。ここから、新生香港の新たな試練の歴史が始まる。

 2003年。SARS(重症急性呼吸器症候群)の大流行。香港でも300人以上の死者が出た。

 2013年。雨傘革命の前年。このときのデモで、市民を守る立場の警察が武器を持たない市民や学生に向かって催涙弾を発砲して暴力的に制圧しようとしたことが世界で大きく報道されて話題になった。

 
 20世紀の半ばからおよそ50年。
 いずれの物語でも、それぞれの時代の立場で警察官の本分を尽くそうと奮闘するクワンという警察官(と彼の腹心の部下のロー)が主人公だ。

 香港に於いて、警察官の立ち位置は微妙だ。(どこの国でも似たようなものかもしれないが)
 警察の職務の第一は、市民生活の安全を守ることなのは間違いない。
 が、しかし、国家(または地方)公務員なのだから、立場としては国家権力側、つまり体制側にあるということもまた事実。
 
 市民を守ると言いつつ、その市民たちと国側が対立したとき、どちらにつくのか。
 市街で何かに対する抗議デモがあって、それが先鋭化して暴動に近いものになったとき、あるいは意図的にそう見えるとき、警察の力が市民に向けらるれことはままある。
 そして、それに対する非難が国中、いや、世界中から寄せられることも。
 そんなとき、現場に赴く、あるいはそれを指揮する警察官たちは何を思うのだろう。
 
 返還前の香港警察は、皇家香港警察という名称で呼ばれ、香港の治安を守る一方で、反英勢力からは陰で「イギリスの犬」と呼ばれていた。
 中国に返還されて皇家の字が取れ、香港警察となり、今度はリベラル派から親中の反民主主義の手先と罵られる。
 
 ものすごい速さで変革していく社会の不安定さの中で急増する犯罪。その矢面に立ちながら、体制への忖度や阿りに左右される上層部との軋轢、あるいは一般民衆からの反発に悩みつつ、現場の警察官たちは、ある者は不正汚職の誘惑に負け、ある者は理想と現実との乖離に疲弊する。

 主人公のクワンは、叩き上げから異例の出世を遂げた警察官。「天眼」と言われる洞察力と推理力、卓越した行動力、その優秀さは香港警察随一だ。
 彼の信念は「警察は市民の安全のために奉仕する」、それのみ。そのための多少(?)の法規違反はためらわない。
 清も濁も渦巻く警察界隈で、彼の信念は清々しいまでに揺るがない。
 
 こんなふうに書くと、堅苦しい社会派小説?かと思われるかもだけど、決してそんなことはなくて。
 短編の1話1話は、それぞれにトリックあり推理ありアクションありの、とても面白いミステリーになっている。
 そう思って普通に読むのもいいし、それぞれの時代での香港の立ち位置を考えながら読むのも興味深い。
 
 タイトルの「13・67」は、2013年の13と1967年の67を取ったものだ。
 そして、面白いことに、短編の並びの順番は2013年から始まって時代を遡っていき、1967年で終わる。
 それによって、物語のあちこちにばら撒かれた小さな伏線が巻き取るように回収されていく。
 その過程がまた、読者には楽しい。
 
 
 本を読むことは私には特別のことではない。生活の一部であり、呼吸することと同じことだ。

 この作品の著者の陳浩基は、1975年香港生まれ。現在は台湾在住。
 
 子どもの頃、ハリウッドのアメリカ映画を見て育った彼にとって、警察官は正義の味方、ヒーロー、だったそうだ。
 クワンやローは、著者の憧れの具現なのだろう。
 大人になってさまざまなニュースに触れ、今の子どもたちや一般市民にとって警察官とはどんな存在なのか、ヒーローとして無条件に受け入れられるのだろうか、などと思ったりする、とあとがきにあるのを読んだ。

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