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息をするように本を読む115〜楡周平「象の墓場」〜

 楡周平さんの作品は以前、この小説を読んだことがある。

 悪人しか登場しない、ザ・ハードボイルドなピカレスク・ストーリーに夢中になった。
 続編があると知り、書店に行ったときにいつも探してみるのだけれど、なかなか見つからない。
 最近減少の一途をたどっている街の書店さん応援のため、本はできるだけ書店で買おうと決めているものの、今回はやはり、みんな大好き某密林書店に頼むしかないかな、と思っていたとき、ふと同じく楡周平氏の作品のこの文庫本が目にとまった。
 象の墓場?って、何。
 密猟で一発当てる話?とか。(いやいや)
 興味を引かれて手に取り、裏面の作品紹介を読む。
 
 1992年。
 世界最大のアメリカのフィルム会社ソアラの日本法人に勤務する最上栄介。
 銀塩フィルム全盛の時代、本社の上層部に命じられ半信半疑のままデジタル製品の売り込みを模索するも、やがてその奮闘を凌駕する速さで押し寄せる時代の波。
 技術の進歩によって駆逐される産業と巨大優良企業の転落の物語。

 ……これはもしかして、あの有名なイーストマン・コダックのこと?
 かつて写真業界に君臨した世界最大級の銀塩フィルムメーカー。
 業界に押し寄せたデジタルの大波に、瞬く間に飲み込まれた巨象。
 
 なるほど。そういうことか。
 これは面白そうだ。

 銀塩フィルム、いわゆるフィルムカメラに使うフィルム、を見なくなって、どれほどになるだろう。
 そもそも、我が家にデジカメが導入されたのはいつだったか。そして、そのデジカメも最後に使ったのは、いつだったかな。

 わずか30年ほど前まで、カメラと言えばフィルムカメラが当たり前で、撮影済みフィルムを現像、プリントしてくれる「写真屋さん」と俗に呼ばれるD.P.E.サービスを提供する店舗が街中にあった。
 家族や友人たちとの旅行や何かのイベント事の際に撮ったフィルムを預けて待つこと数日、ワクワクしながら受け取りに行き、ちゃんと写っているかな、とドキドキしながら写真の入った袋を開けたものだった。
「お、これ、上手く撮れてるやん」
「うわ、最悪、私、目つぶってるー」
とか何とか、皆でワーキャー言い合うのも楽しみのひとつだった。
 そうなのだ。今と違って、フィルムは現像するまでどう撮れているか見ることが出来ないし、たとい明らかに失敗したと思っても画像を消して撮り直し、なんてことは出来なかった。
 写真とは、そういう特別なものだったのだ。

 20世紀の終盤にデジタルカメラが登場して、写真はフィルムからプリントするものではなくデジタルデータになった。更には携帯電話、及びスマートフォンにカメラが搭載され、いつでもどこでも撮れるようになった写真は、とんでもなく身近な、ありふれたものになった。
 その結果、写真はデータで手軽にやり取りできて、保存もするけど見るだけ見たらそれで終わりのことがほとんど、というものになってしまったのだ。よほどのこと、何か特別な記念日とか、でもない限りは紙で残されることは少ない。
 今や家族や青春の思い出の多くは、昔はどこの家庭にもあった分厚いアルバムの中ではなく、データの海の中に保存されている。

 かつての4大フィルムメーカー。
 アメリカのコダック、ドイツのアグファ、日本の富士とコニカ。
 この中で今も強かに生き残っているのは、富士フイルムだけだ。
 特に、世界市場シェアの大半を握っていたはずのコダックの終焉は「コダック・モーメント」と呼ばれ、技術革新で急激に変化した市場に大企業がついていけなくなる決定的瞬間の見本だと言われる。

 コダックはなぜ生き残れなかったのか。
 よく指摘されるのは、100年からの業界トップの座にあぐらをかいて時代の流れを見誤ったからとか、自社の家宝である銀塩フィルムに固執してデジタル化の波に乗り損ねたからとか、そんな理由だが。

 しかし、実はそんなことはない。
 1975年に世界最初のデジタルカメラを開発したのはコダックだ。(商品化はされなかったが)
 さらに1999年に世界初のプロカメラマン向けデジタル一眼レフカメラを発売したのもコダック。
 その後も、家庭に眠っているネガをデジタル化してCDに書き込み保存する機器、さらにはそれをモニターに写し出すプレーヤーなども開発、発売している。
 決してデジタル化の波を無視していたわけではない。むしろ、業界に先駆けて、デジタルの波に危機感を抱いていた。
 それがなぜ、実を結ぶことが出来なかったのか。
 それは、誠に皮肉なことだが、コダックがフィルム業界において動かし難い絶対王者であったから、に他ならない。

 この物語では、コダックをソアラ、富士フイルムを東京フィルムと言い換え、他にも幾つか実際の企業や製品を指すのだろうな、と思われる名称が多く出てくる。

 主人公、ソアラ日本法人社員の最上は、半年前に配属されたプロ向けのデジタル製品事業部から突然、アマチュア、つまり一般ユーザー向けのデジタル製品販売戦略担当を命じられる。
 これから予想される写真業界における激烈なデジタル化競争に対し、さまざまな戦略を巡らせ、業界のリーディング企業として、一歩先んじようと奮闘するのだけれど。
 
 競争に加わるのは、既存のフィルムやカメラメーカーだけではない。家電やゲーム機メーカーも次々と新しい市場を目指して参戦してくる。
 
 しかし、ソアラの本当の敵はこれらの企業ではなかった。
 それは、未曽有のスピードで進む技術革新であり、それによって信じられないほどの規模で変容する社会の価値観だった。
 インターネットの普及によって、一家に、いや、ひとりに一台のコンピュータ、そして、いとも簡単に誰もが、映像、画像、文章、音源をデータとしてやり取りできるシステムが瞬く間に構築された。
 新世紀の幕開けと共に、誰もが予想だにしなかった時代が始まったのだ。
 
 これからも、次々とやってくる技術革新の潮流を止めることはできない。それどころか、ますます拍車が掛かるだろう。
 人間の、利便性、効率性への欲求はとどまるところを知らないからだ。
 次はどこで、どの巨象が倒れ、そこに新たな墓標が立つのだろう。

 本を読むことは私には特別のことではない。生活の一部であり、呼吸することと同じことだ。
 
 昔、フィルムを買うと必ずプラスチックのケースに入っていた。フィルムを現像してしまうと無用になるのだが、ぴっちり蓋が閉まる、なかなか丈夫なケースで、ボタンとかゼムクリップとか小物を入れておくのに便利だった。子どもの工作なんかにも活躍したと思う。
 当時はどの家庭にもひとつやふたつはあった。公園の砂場にも、子どもが砂遊びに使ったのか、つぶれたフタがよく落ちていたっけ。
 そんなことを、ふと思い出した。

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