つれづれ雑記 *坂の上の母校、の話*
私は数十年前(何年前かは内緒)、ある大学の学生だった。
その大学は終戦後すぐに専門学校として創立されたそうで、のちに単科大学となった。
そして、今は存在しない。
と言っても廃校になったのではなく、移転したのだ。それも私が卒業した、その年に。
なので、私は旧学舎の最後の卒業生ということになる。
私が入学したときには、もう移転は決まっていて新キャンパスの建築が進んでいた。
私が通っていた学舎はかなりボロ、いや、古く、キャンパス、などという呼び方はおよそ相応しくなかった。
単科大学なので建物、敷地も小さく狭く、ぱっと見は田舎の高校か中学校くらいの規模だった。
門を入ると申し訳のような校庭があり、一段高いコンクリートの通路がそれを囲んでいる。
その通路に沿って、一般教室の入る4階建校舎や大教室、教務課や学生課の入っている職員棟、教授たちの部屋のある研究棟、食堂や売店が建っていた。
校舎は、高い天井や石造りの手摺りのついた階段、上下開閉式のガラスのはまった窓、吹き抜けの講堂など、全体的にそこはかとなくレトロ?クラシック?な造りだった。
昭和初期の古い映画とかに出てくる役所のような造り、と言えばお分かりいただけるだろうか。
おそらくは元々そういう施設だったものを学校に転用したのではないかと思われる。
教室の机と椅子は相当にボロい(あ、言っちゃった)。入学当初はせっかく大学生になったのだからと、ちょっとおしゃれな服などを着てきていた同級生女子も、服が汚れたりささくれに引っ掛かったりするのがイヤで入学後しばらくしてジーンズになった。(もちろん私も)
何より、学校があったのが結構な急勾配の坂の上だった。長さもそこそこある。(学生たちの間では『心臓破りの地獄坂』と呼ばれていた)
おしゃれな服にあわせてヒールの高い靴など履いてきたら、えらい目に合うのだ。
登りもキツいが下りもキツい。坂を下るときに力が加わるとヒールが傷んで、靴が直ぐダメになる。
冷房、暖房などはもちろんない。
学校自体が坂の上、つまり高台にあるし、天井が(ムダに)高いので、夏は窓を開けていたら風が通る。
その代わり、冬の寒さは相当なものだったので、寒中は教室内で受講中でも、コートやマフラーは着用していてもいいことになっていた。
食堂棟は3階建てで、1階は高校の学生食堂みたいな感じ、2階はコーヒー(だいたいの学生は自販機で紙カップのコーヒーを買っていた。ここの陶器のカップに入った高いコーヒーを飲んでいた人間は、果たして何人いたのだろうか)やサンドイッチ、ピラフなんかが出てくる喫茶軽食コーナー、だった。
決しておしゃれな場所ではない。イメージは寂れた観光地のバス待合所、かな。
ここが多くの学生たちの溜まり場だったので、休講だったり次の講義まで時間があるときは、とりあえずここに来れば誰かしら知り合いがいた。
在学中、部活動で交流のあった他の総合大学や女子大を訪問する機会が何度かあったが、その大きさや設備の立派さに圧倒された。
これが、いわゆる『キャンパス』なのか、と同級生たちと話し合ったものだ。
そしてこのボロ学舎は、4年が経つうちにあちこちの老朽化がますますひどくなってきた。
窓がガタついて半分しか開かなかったり、扉の取っ手が取れかかっていたり。
あるとき、講堂でピアノを移動させていたら、急にピアノが傾いたので驚いて床を見ると、木の床に穴が開いてピアノの脚がめり込んでいた。
それでも、どうせ移転するのだし、もう余計な費用はかけたくないのだろう、修繕されることはなかった。さすがに床の穴に関しては学生課に直談判したら、しばらくして、かまぼこ板が穴部分に釘で打ち付けてあったのには呆れた。
ところで、我が大学には学生生協という組合があって(どこの大学もそうなのかな)在校生が入学時に出資した資金で運営されていた。出資額はひとり2万円。
この2万円は、卒業して生協組合員でなくなれば当然返金される。
卒業までいよいよあと2ヶ月ほどというある日、私は学生課で顔見知りの職員さんに出資金返金の手続きを申請した。
すると職員さんが「あのね、実はこの出資金で寄付を募集してるんだけど」と言った。
はい? 寄付? どこへ?
「もちろん、大学へ。ほら、新校舎も完成したしね」
いやいやいや。ちょっと待て。
新キャンパスが完成したから、何?
私はそっちのキャンパスに一回も通学しないんですけど。
そのキャンパスを建てるから、こっちの校舎はボロボロになってても修繕しなかったんでしょ?
このボロ校舎で4年過ごした私らに、今更に寄付をしないか、ですと?
2万円、新社会人には結構な大金なんですけど。
私がいささか憤然としてそう言うと職員さんは、
「まあ、そうだろうなー」と笑った。
「寄付する学生、いるんですか」と私は聞いた。
「うーん。まあ、ね…。(口ごもる)あ、そうだ。寄付すると特典があるよ」と言う返事。
特典。
「絵葉書のプレゼント」
絵葉書。
「新キャンパスのね、写真付き葉書」
………そんなの欲しい人、いるのか。
「寄付はしません。返金手続きをお願いします」
私はきっぱり言った。職員さんは苦笑いしていた。
それからしばらくして、同級生たちと例の喫茶軽食コーナーで話をしていて、出資金返金の話になった。
私が寄付を断った話をすると、友人の一人が「えっ、あれ、しなくてもいいの?」と大声を出した。
「そりゃ、そうでしょ。強制じゃないし」
私が言うと他の友人たちも頷く。
彼女は急に立ち上がった。
「今から学生課に行ってくる」
彼女が出資金を返金してもらったかどうかはわからない。
卒業してから、所用があって新キャンパスに一度だけ行った。
最寄りの駅から歩いて5分のところにある、今風の、公園と見紛うばかりの広い敷地に建つ鉄筋コンクリートのおしゃれな校舎や諸施設の建物。
自分が学生だった頃、これがキャンパスというものか、と感嘆した他所の大学に勝るとも劣らない立派な学舎だった。
旧学舎の跡地には数年後に私立の女子校が建ったと聞いた。
こちらは一度も見に行っていない。これからも見に行くつもりはない。
バス通りから見上げるとため息が出そうな坂を、息を切らしながら毎朝登った。
狭い校庭の周りには古い桜の木がたくさん植わっていて、春は息を飲むほどきれいだった。近所の人たちが花見に来て、校庭の端っこでレジャーシート広げてお弁当食べていた。
夏が近づき暑くなってくると、学校帰りの小学生がいつのまにか食堂に入ってきて、無料のお茶をプラスチックの湯飲みに注いで飲んでいた。ちょっとびっくりした。
秋は桜紅葉が美しく、通路には赤や黄色の落ち葉がたくさん舞い落ちていた。雨が降ると濡れた葉は滑るので、転ばないように気をつけてそろそろと歩いた。
冬は山から吹き下ろす風がものすごく冷たくて坂を登るのが苦痛だった。先生に引率された近所の幼稚園の園児たちが校庭に入ってきて、寒風の中で凧揚げをして走り回っているのを見て、その元気さに驚嘆した。
もうあの景色を見ることはない。
私たちが、覚えているだけになった。
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