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息をするように本を読む82〜北村薫「冬のオペラ」〜

 探偵、という職業がある。

 物語の中で、探偵といえば。
 中折れ帽にトレンチコート。襟を立てて紫煙をくゆらせながら、バーボンを飲む、とか。
 ダックス・チェックのインバネスコートを着て同柄の帽子をかぶり、パイプをくわえて沈思黙考、とか。
 七五三みたいな半ズボンにジャケット、黒縁メガネに蝶ネクタイの生意気な小学生、とか。
(他にももっといろんなパターンがあると思うが、残りは割愛する)
 しかし実際のところはどうなのだろう。
 
 現在、世にある多くの探偵事務所?的なものは、興信所とか調査会社とかに類するものと思われる。
 調査する事案も、法人相手の大手なら取引先企業の経済状態、信用調査、個人相手なら浮気調査とか行方不明者探しとか縁談にまつわる素行調査、果ては迷子犬の捜索など。
 物語にあるような犯罪捜査に携わることなどは、まあ、皆無と言っていいだろう。

 ちなみに、探偵になるのはそう難しいことではない。
 とりあえずは、探偵事務所とか調査会社などに応募して採用されれば、晴れて「探偵」となる。
 独立開業したければ「探偵業法」に則り、その開業しようと思っている地域を管轄している警察署を通じて公安委員会に届出を出し、受理されれば(一部の例外を除けば大体場合は受理される、らしい)探偵事務所を始めることが出来る。 
 特別な免許や資格がいるわけではなく、つまりは、言うたもん勝ち、である。
 ただ、開業はしてもそれで食べていくのはそう簡単なことではないだろう、と思われる。
 とりあえず、依頼があればそれがどんなに地味な仕事であっても地道にこなして、顧客を増やしていくしかないだろう。

 しかし、この作品に登場する探偵には、そんな気はさらさら無いようだ。

 彼の名は、巫(かんなぎ)弓彦という。
 年齢は40前後。広い額に太く濃い眉。定規で引いたように横真っ直ぐな切れ長の目と固く引き結ばれた口。見ているこちらが肩が凝りそうなほど、いつも恐ろしく姿勢がいい。

 そして彼が標榜しているのは、ただの探偵ではない。
 彼の事務所の看板には『名探偵・巫弓彦』とある。そして、さらに続く。
『人知を超えた難事件を即解決。身元調査など、一般の探偵業務は行いません』

 『名』探偵である。(しかも自称)
 浮気調査だのペット探しだのは引き受けない、と言う。それは、浮気やペットにそれだけの値打ちがないということではなく、『名探偵』が動く事案ではない、ということだそうだ。
 
 しかしながら、そんな名探偵にふさわしい人知を超えた難事件がそこらじゅうに転がっているわけもなく(当然だ)、そして、いかに名探偵といえども霞を食べて暮らすわけにはいかない。
 なので、名探偵巫弓彦は、いくつかバイトを掛け持ちしている。
 ビアホールのボーイ、コンビニの店員、新聞配達員、寿司屋の出前等等。
 生きていくということは、大変なことだ。
 
 ところで、探偵にはいわゆるワトソン役が付き物だ。
 我らが巫探偵にも、姫宮あゆみという助手がいる。彼女が、この物語の実質の主人公であると言っていいだろう。
 巫探偵事務所がある駅ビルの1階には不動産会社が入っていて、彼女はそこの事務員をしているのだが、ちょっとしたきっかけで『名探偵』に興味を持ち、記録係(無給)を申し出た。
 この物語は、彼女による巫名探偵の事件ファイルなのだ。(観察日記、とも言う)
 短編2つと中編ひとつで構成されていて、最初の2つは、まあ、ご挨拶替わりの日常ミステリー、最後の中編で仕上げ、という趣向となっている。

 あゆみちゃんのキャラクターによるものか、物語全体に漂うのんびりおっとりとした何ともとぼけた雰囲気、彼女も巫探偵もとても真面目なのだが真面目であるがゆえによけいに際立つ、えも云えない可笑しさが、癖になるほど面白い。
 まるで、現代のメルヘン?のような。

 しかし、そんなふうに可笑しくて笑える要素もたくさんあるはずなのに、何だろう、このそこはかとない切なさ、哀しさは。
  
 『名探偵』とは行為や結果ではなく、存在であり意志である。望むと望まないに関わらず、真実が見えてしまう。それを自覚し、それから目をそむけない覚悟をした者。とは巫名探偵の言葉である。

 本を読むことは私には特別のことではない。生活の一部であり、呼吸することと同じことだ。

 真実が見えてしまうということは、ある意味、一種の呪い、なのかもしれない。
 名探偵。
 現代ではもう、絶滅危惧種だろうか。

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