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邪悪な存在と出会いと窓のはなし

すき間があれば、なにかが入る。

この部屋に引っ越してきた日の金縛りは少し違っていた。明け方の薄暗い部屋で、意識が徐々に引き戻されていく。獣が威嚇するような唸り声が、頭の上から聞こえる。ガルルル・・・と唸っているサッカーボールくらいの丸い物体。

犬? と思った瞬間、獣ではないとわかった。人の首だ。

そこに根拠はなかった。でも無意識に焦点をそらした。もしそうしなかったら、さらに鮮明に私の脳がそれを描写してしまう。すると現実という名がつき、わたしという世界に立ち上がってしまうではないか。

そうやって動かない体で、邪悪な唸り声を聞いていた。体が動いて飛び起きると、いやな冷や汗でびっしょりだった。なんだよ、この部屋。そんなに悪い感じしなかったのに。だからその後も、魔除け的な特別なことは何もしていない。

ただ、洗濯機の横の空間が気になった。

玄関を入ってすぐ右に、洗濯機のささやかなスペースがある。暗くなってしまうのはしょうがない。暗いから気になるわけではなかった。気になるから気になる。それ以外にいいようがない。

そこでなんとなく、展覧会のちらしとして印刷されていたある龍のスクラップをそっと貼った。しばらくは、まだおっかない感じがそこにあったが、それでも時間が経つとそれは薄まっていった。そこに西陣帯で仕立てた、孔雀のタペストリーを吊るしたら、よい感じになった。それは想像以上にフィットしていた。孔雀が隅に目線を向けて、舞い降りようとしている美しい絹の帯。

部屋には、長野の講演会のチラシに刷られていたダライ・ラマ法王の切り抜きを貼った。それは死んだ祖父に似ていたからだ。ただ、それだけだった。なのにその半年後にはチベット仏教の書籍に携わり、その関係で日本のボランティアスタッフになり、ダライ・ラマ法王と何度も握手をする機会に恵まれた。その1年後には法王が唯一、一般人の人に授けられる灌頂の儀式「カーラチャクラ」をアメリカのワシントンDCで受けていた。すべては東京と関西の往復で暮らすようになり、環境も人も変わった結果の自然の成り行きだったとはいえ、自分でも笑うしかなかった。

誰かの写真を飾ることは「窓」をつくるようなものだ。

それはドラえもんのひみつ道具のひとつ、「通り抜けフープ」に似ている。ドラえもんのフープはただ壁を通過できるだけだけど、こっちの窓は、時空間を超えてつながるトンネルで、いきなりワープしてしまう感じがする。

その時のわたしはおそらく自覚のないまま、チベット仏教の精神的指導者にダイレクトメールを送っていたのだろう。結果、数年かけてみっちりとそのシャワーを浴び、最後はワシントンに半月滞在することになった。その過程はエキサイティングだった。もちろん楽しいことばかりではなかったが、人生で得たことはあまりにも大きい。死んでからももっていけるわたしの宝でだ。

それはちょうど11年近く携わった雑誌の編集業を閉じようとしていた時だった。そして閉じたことで、何かが始まろうとしていた時期だった。

ひとつの宇宙が閉じ、新しい宇宙がひらくとき特有の不安定さを思うとき、あの時の部屋の空間に、ふらりと立ち寄った邪悪な存在を思い出す。

わたしに隙があったのか、部屋のすき間にわたしが入り込んだのか。いずれにせよ、その後の部屋に満ちていったのは、慈悲と菩薩のエネルギーだった。いつのまにか部屋は安全で可愛く、心地の良い自分の空間に変わった。でもそれに清浄とか浄化という名前をつけるのはふさわしくないように感じる。清浄はわたしにとって気持ちがよいが、正解ではない。

闇も光も、光も闇も。邪悪も清浄も、浄化も呪いも。名前さえつけなければ、ただの存在である。名前にあまり意味はない。ただ、空間に何を呼び込みたいのかは、決めておいたほうがいいだろう。自分が気づかないほどの小さなすき間にこそ、意図あるものは滑り込む。

安心できて可愛らしくて、ほどよくだらしのないこの部屋でホッとするとき、ほんのりとあの唸り声を思い出すときがある。あれはやばかったなぁ〜と思い出して笑う。それはもうこの部屋にふさわしくない。私自身にも、もうふさわしくない。

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