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本当は書きたくない、「リライト」

ライターをする中で、いつも引っかかってしまうことがあります。

それは「リライトという作業の意味がよくわからない」ということです。💦

ここで私が言うリライトとは、自分自身の公開した記事を修正したり加筆することのリライトではなく、他の方が書いた記事を自分の言葉で置き換えてネットに公開するためのリライトのことを指します。


私は、昔はnoteを重点的に書いていましたが、最近は、会社のためにリライトをする仕事をしています。

または、noteもあまりにも自分のことばかり書くのはどうなのかな?と思い、たまにネット上で調べたことをまとめて載せるということもしだしました。
...いわゆる、私もリライトをしているという訳です。


しかし、私はリライトをするたびに、なぜか言いようのない罪悪感や大丈夫かな?という不安感に襲われます。


というのは、自分の記事がリライトされたらどんな気分になるんだろうか?
ということをよく考えるのです。

まあ、考えなくてもいいのでしょうが、引用と違い、まるで自身の経験や自分が体を張って頑張って取材したことなどが、あたかもその人が調べたかのように書かれるのは...嫌だろうなって思うんです。

これは何もリライトをしている人を責めている訳でもなんでもないことはわかって欲しいのですが、伝わるでしょうか?


おそらくですが、本当にリライトが上手な方というのは、いくつもの文献を噛み砕き、自分の言葉にされているんだと思います。

だから、パクリにもならないし、リライトされた方も気づかなかったり、「ちゃんと自分の言葉に置き換えられているからいいか」となると思うんです。

ただ、私の今現在の自分自身のスキルではそこまで到達していないと思っています。

でも、スキル云々を無視しても、リライトというものは、自分がすると、どうしても「人の体験したこと、人が身をもって取材したこと、血の滲む思いで考えたこと、勉強したこと」を「盗んでいる」という感覚に陥ってしまうのです。


今日まで私が会社のメディアや、noteで、リライトや、何かを調べて記事にすることを避けてきたのはそのためです。

仕事をする上では要らぬ「わがまま」ですし、捨てないといけない「思い」なのかもしれませんが...。

どうしても「やっぱり『リライト』というのが理解できない」と思ってしまいます。

この「こだわり」を捨ててみて、リライトが上手にできるようになる...ということを頑張らなければいけないんだと思うんです。

でもなかなか難しいです。


稼ぐライターさんというのは、リライトが上手にできることは必須なんだと思いますが...。
私自身はリライトに対して、葛藤がすごくあります。

一時期...まあ今もですが、よく「リライトとは」というワードでGoogleで検索しますが、やはり上手にリライトできたのならそれは「パクリ」にもならないようで、なので「リライトを上手になる」これを目指して頑張るだけ頑張りたいです。

ただ、「わがまま」と思われそうで言うのは躊躇いますが、自分はもしWebライターにならせてもらうのであれば、「一次情報」を多く発信できるライターになりたいです。

自分の体を動かして取材して聞いたこと、自分で実際にテキストを開いてノートに書いて勉強したこと、自分が体験したこと、そんなことを多く発信できるようなそんなライターになりたいんです。

私自身、リライトしたであろうな、という記事にではなく、その人が「こんなこと失敗しました〜」とか「こんなことで解決したよ!」と自身の身をもった体験を書いてくれたブログとかにめちゃくちゃ救われてきたから...というのも理由としてあります。

リライトと私の葛藤はまだまだ続きそうですが、どうにか終着地点が見えてきたらなあ、と今は思っています。

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