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当たり前だが、私はマリリン・モンローではない。

「私は、わがままでせっかちで少し不安定。ミスを犯すし、自分をコントロールできないときもある。もし、あなたが最悪なときにきちんと扱ってくれないなら、私の最高の瞬間を一緒に過ごす資格はないわ」

引用元:マリリン・モンロー命が宿りし金言集|いまもそこに垣間見える生命と美

私はマリリン・モンローが好きだ。
だからもちろん、この言葉を知っていた。
そして、私はこの言葉を自分の“ポリシー”として密かに持っていた。
それで人に対して若干わがまましていた。

しかし、ある日気づいた。
「あれ、これってマリリンみたいなスゴイ人だから言える言葉じゃない??」
「私はそんなわがままをする資格あんのかな」
まあ、正直いうと、人に「この名言を自分の人生の美学にしている!」と打ち明けて、指摘されたのがきっかけだ。
「それはマリリン・モンローだからそういうこと言えるの!!」
と言われてしまい「いや、確かに!!」と我に返って顔から火が出るほど恥ずかしかった!!

タイトル通り、当たり前だが、私はマリリン・モンローではない。
どうしてそんな当たり前なことがわからなかったんだろう。。
冷静に考えたら、この「私の最高の瞬間を一緒に過ごす資格はないわ」という言葉…私みたいな人には似合わなすぎる….

考えてみたが、私は芸能人・有名人と心理的距離が近すぎる。
憧れた有名人と全く同じ洋服を買うのは毎度のこと。
芸能人の仕草を研究して真似したり。
とにかく芸能人・有名人に影響を受けやすい。
そして彼らと自分を同一視してしまう。
最近、そのことをみんなに不思議がられるようになったので、少し分析してみる。

おそらくだが、私が不登校だったことが原因だろうと思う。
不登校で友達が0人だった私は、ブラウン管越しの芸能人だけと接して思春期を生きてきた。
引きこもり中、キラキラひかるテレビの向こう側の芸能人たちだけが、私の心の友達だったのだ。
恥ずかしいが、それで芸能人と心理的距離が近くなったのかな、なんて思う。

今でも好きな芸能人は、どこか友達みたいに思っているし、なんか同化してみてしまう。
あまりいいことではないんだろう、と思いつつ、でも、そういう芸能人に憧れて色々試行錯誤真似している自分を「いいね」と褒めてくれる人もいて、まあそれはそれで私の魅力になっているのかもしれないな、と思うようになってきた。

でも、当たり前だが、私はマリリン・モンローではない。
そして、マリリン・モンローは私の友達でもなんでもなくて。
そのことは頭に入れて生きていかないと、もしかしたら、大好きなマリリンに対しも失礼かな、なんて考えた。
考えすぎかな。


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