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差別反対

ある日、記事執筆中にネタ探しであるブログサイトを読んで回っていました。

そしたらあるページでマウスを動かす手がとまりました。


そこにはページいっぱいに、障害者に対する暴力的とも言えるようなすごい差別的な言葉が並んでいました。

詳細はここには書きません。

書きたくないし、思い出したくないくらい、吐きそうなほど、怖い差別的な言葉だった。


泣きました。

なぜかはわからないけど、涙が出ました。

ここまでひどいことを書かなければならないのか...。

自分も障害者ですが「自分が言われたこと」に対して...ではなかった。

とにかく、障害者...だけど同じ人間なのに、どうしてここまで言われないといけないのかって...腹が立つ...その思いで、涙が溢れました。

その文章はたいして炎上もしていないみたいだった。

でも私にとっては本当に「こんなこと許されていいのか?」という表現でした。


しかし、もっとすごく衝撃的なことがありました。

その記事に...私の大好きなアーティストがいいねを押していたのです。


私は...自分の目を疑い、そして二度見して、何度も確認して、やっぱりいいねしている!って思って、そしてなぜか今度は....涙がとまりました。

そこにあったのは、虚無と、その記事を書いた人、そしていいねをしたその人に対する...蔑みでした。


差別...という言葉があって、私は一人の障害者でありながら「自分が差別されるのはしょうがない」なんて思っていました。

たしかに考え方は変わりません。

でもそれは「自分に関しては」です。

差別はやっぱり許せないなって当たり前の言葉かもしれない、だけど本当に許せない、許してはいけないものだと思いました。

自分はここにありのままの症状とかを赤裸々に書いてきた。

正直、ダッシュボードを見るたびに自分の記事を純粋な目で見てくれる人もいるだろうけれども、そうでない人もいるんだろう。

差別的な視線で見ている人もいるだろう。

ということはなんとなくわかっています。

だけど自分がたとえ道端で後ろ指を刺されようが、差別的な言葉を発されようが、そのことには耐えられる。

耐えられると思う。

でも...私はA型事業所のみんなとか、病院の仲間とか、障害のある友人にそんなことをするやつがいたら....とても怒るだろうと思います。

才能を買っていたアーティストでしたが、たとえ才能があってもそんなことをするんだったらもう応援したくない。
その才能を認めたくないって思った。

その記事を書いた人だって私より数倍文才があった。
でもそんな才能なんて認めてはダメだ。

表現の自由、思想の自由。
どんな自由でもこの自由だけは許せないと思った。
許してはいけないと思いました。

私はこの記事を書くのが怖いか?と聞かれたら怖いです。

めちゃくちゃ怖い。

そのアーティストに見られて批判されるかもだし、それからその文章を書いた人も、それから差別を肯定する人にも嫌われると思う。

だから震える手でキーボードを打っていますが、ここで負けてはいけないと思いました。

私らしくない文章かもしれない。
いつもの私と違う文章かもしれない。
でも...あんな差別が許されていいわけがない!!

私はそう強く強く今大声でいいたいです。

なんだか感情的になってしまったけれども、私はここにもう一度宣言したいです。


「私はあらゆる差別を反対します!!」





(追記しておくと、このアーティストは私が公言してきた好きなアーティストたちではないです。)


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TANOSHIKA 𝕡𝕚𝕒𝕤𝕦
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