フジコ・ヘミングさんに学んだライターとしての生き様。
最近、フジコ・ヘミングさんのピアノ演奏を聴くことにはまっています。
ここのところは、もっぱら家に居る時は、なるべくフジコ・ヘミングさんの演奏をBGMとして流すようにしています。
というのは、フジコさんの演奏する曲を聴いていると、不思議と心が落ち着くからです。
「なんか今日はイライラする!!」という時も、フジコさんの曲を聴けば、あら不思議!
イライラしていたこともどうでも良くなって、それどころか「もう少し私も大人にならないとなあ」とか反省できたり。
だから、フジコさんの音楽には不思議なパワーがあるなあ、と思っています。
フジコ・ヘミングさんの音楽との出会いは、私が高校生だった頃に遡ります。
私の大好きな有名人さんが、フジコさんのピアノはすごい!と言っていたのです。
どれどれ〜と、聴いてみたら、本当にすごかった。
それから定期的にフジコさんの曲を聴くようにしています。
フジコさんは、度々、このような発言をされています。
実際、フジコさんは、演奏で度々ミスをされるようですが、それがまた人間らしさとか、味を出していて、本当に素晴らしい感動を呼んでいるんですよね。
でも、私の心に一番響いた言葉がこれです。
YouTubeで、彼女がインタビューされているのを観ていました。
その時に彼女がおっしゃられていた言葉です。
これには深く深く共感しました。
ピアノの演奏は、どうしたって、その人の心が滲み出る...という意味だと思います。
ピアノを弾いたら、弾く人の汚い心のうちは、隠すことなんてできない。
ということだとも、私は思いました。
実際、フジコさんの演奏は、フジコさんの人間としての心の美しさがそのまま滲み出ています。
波瀾万丈な人生を歩んできて、それでも美しい心を保ったままの彼女の心。
そういう綺麗な心が、演奏にすっごく滲み出ているんですよね。
そして、私は思うのですが、このフジコさんの言葉は、そっくりそのまま文章にも言えるのではないかと思うんです。
私はA型事業所ですが、文章を書く仕事をしています。
それで、色んなネット上の人の文章を参考に読ませていただいているんですが、偉そうながらちょっと思うことがあります。
それは、残念ながら、この世界には「たくさんの人から認められる文章」と「そうでもない文章」というのがあるなあ、ということです。
つまり、有名になれるライターさんと、そうでないライターさんが、どうしても存在するということです。
私がいう事でもないですが。
でも、これはちょっと悲しいけれど、事実かな?とも思います。
ただ、それでも、思うことがあります。
それは、「本当の意味でいい文章」と「有名になる文章」というのは少し違うのかなあ、という私の考えです。
文章も、フジコさんがおっしゃるようなピアノ演奏と同じように、人の心の中身が滲み出てしまうなあ、と、私はここ数年、色んな文章を読ませて頂いて、強く思いました。
たとえ、多くの人から認められていない文章であっても、上手くなくてもいい。
小手先のテクニックではなく、本当に心が良い人が書いた文章が、「本当の意味でいい文章」なのでは?と私は思いました。
フジコさんは、長い間、有名人ではなかった。
でも、その無名だった間も、自分の信念を貫いている方です。
私は、彼女の生き様や演奏をみて、反省しました。
文章で、有名になるとかならないとかそういうことを妬んだり、目指したり、地団駄踏んだりするだけだった自分を恥じました。
そして、「本当の意味でいい文章」、そういう文章を自分も書きたいなあ、と思いました。
「本当の意味でいい文章」とは、つまり、いい心を持った人間の文章ということです。
そのためにも、私は文章に向き合っている時以外も、いい人間、いい心の人でありたいなあ、と思いました。
そんなことを強く思った朝でもありました。
P.S.
フジコ・ヘミングさんに興味を持っている方は、ぜひこちらの映画を観てほしいです!↓
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