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大人になってから嫌いになった先生

子どもの頃、私のことを贔屓してくれる先生がいた。
私は贔屓されて、嬉しくて仕方なかった。
私はその先生が大好きだった。
大好きで仕方なかった。

その先生は、私を褒めるために、他の子どもを貶す人だった。
それでも私はその先生の話を鵜呑みにして、喜んでいた。
みんなより私は秀でているんだ、と端的にいって調子に乗っていた。

ある日、私が学校に行けなくなった。
しんどい精神的症状も出ていた。

先生に頼りたくて、先生に相談したくて、学校に行き、職員室に行って、その先生を呼んだ。

先生は「ごめん、熱っぽいから」といって、早々に話を切り上げてしまった。
私はその先生の変わりように、苦しくなった。
不思議に思った。
動揺した。

大人になった今。
冷静に考えると、あの先生はあまりいい先生ではなかったように思う。
授業中に差別的な発言もよくしていたし、いじめられている子どもに変なあだ名をつけてみんなに呼ばせたり、私とは別の不登校の女の子に「なぜ学校に来ないんだ!」とみんなの前で異様な勢いで怒鳴ったりしていた。

でも、贔屓されている、という目先の喜びに目が眩(くら)んで、子ども時代の私はついついその先生を美化していたように思う。

今、子ども時代の私に会えるなら伝えたいことがある。
「目の前の人が本当に優しい人か、それとも口だけなのか、よく見極めなさい」
と。

あれだけ褒めてくれた、大好きな先生が「熱っぽい」という理由で、私の相談を切り上げて、以降絶対に私と目を合わせなかったことは、どういう意図があったか、本当のところは、わからない。
でも、いつも私を叱ってきて「嫌いだな〜」って思っていた先生が、親身になって病んで不登校になった私の家に来てくれたりしたことも覚えている。
人間の本性って、究極の状況になって初めて何か見えてくるのかもしれないな、と偉そうながら思った。

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