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この支配からの、卒業

今日、娘が義務教育を終えた。私も中学生の母を卒業した。風は強いけれど暖かく、川沿いのピンクの濃い桜が咲いて私たち母娘を見送ってくれた。

帰宅したあたりから、母娘揃って気圧性の頭痛がいつにも増して激しくなり、お昼もそこそこにそれぞれ布団に潜り込み寝てしまった。夜もそれぞれのタイミングで冷蔵庫から適当に食べてまた寝るという、最高に記念どころではない日になってしまったけれど、せめてその記録を残してみようと思う。

23時半頃再度目が覚めたら、とりあえず頭痛がだいぶなりを潜めていたのでこうして記事を書き始めたものの、ぎりぎり日付すべり込みで間に合わないという、いかにもADHDなやらかしをまたしてしまった。敗因は、見出し画像はとにかく後回しにしていたはずなのに、うっかり写真を選択し、あぁ川べりの桜綺麗だったなーと見とれてしまったこと。正確には、写真を撮ったときの景色を思い出してしまったこと。ADHDの衝動性ときたら……いや、話を戻そう。

この春の新型コロナ対策による子どもたちの長い休暇は、世のお母さま方にはインパクトあってありあまることと思う。本当に大変な日々を送っていらっしゃって頭が下がる。
どうして他人事なのか?それは起立性調節障害とASDを主因とする不登校で、もともと不規則に週数回しか登校していなかった娘と、もともと在宅ワークとまだまだ食えないライターをしている母、という組み合わせだからだ。
もうびっくりするほど生活が変わらない。たぶん一番変わったのは、なかなか登校しないことに毎日気をもんでいた同居の我が母が、学校自体もう休みなのだから、と諦めがついたことではなかろうか。中間管理職たる私にもストレスがかからず、ありがたいくらいだった。

そんな我が家のあまり変わり映えのしない日々にも、いったん区切りがついた。

信じられぬ大人との 争いの中で
許しあい いったい何 解りあえただろう
うんざりしながら それでも過ごした
ひとつだけ 解ってたこと
この支配からの 卒業
                 尾崎豊 「卒業」

同調圧力に苦しみ、声をうまく発せられないことに悩み、教師とも生徒とも解り合えず、なんとなく浮いてしまうことで寂しい思いをしていた娘。
やがて小さい頃から苦手だった朝起きるのがますますしんどくなり、それでも学校に行けないことで自分を責め続けていた。
そんな彼女にとって卒業とは、自分自身を支配していた「学校に行かなくてはいけない(のに行けていない)」という意識からの解放だ。
朝からの式自体には参列せず、解散後に教室で担任から証書授与され、正門を出た娘の表情は晴れやかだった。

地元中学を卒業し、県央エリアの単位制高校に通う予定の娘は、同じ学校から進学する生徒は他に誰もいないそうで、1人進学となる。いままでの積み重ねを捨て一から関係を築けるのは、間違いなくプラスになるだろう。

そして、私自身にとってもある意味、支配からの卒業だ。
思えば、幼稚園から11年間、地域内の進学のため、ずっと同じ顔ぶれの多い環境だった。ママグループも概ね幼稚園から固まっていて、子どもの頃から女子集団にさっぱり馴染めない私は、顔を合わせればそれなりに話をしたりしても、基本ずっとポツンだった。カッコよくいえば一匹狼。
学年200名超と規模が大きすぎて、いわゆるボスママ的な存在もなかったし、少なくともいじめのような事態にはなっていなかった。積極的に仲間はずれにはされてなかったと思いたい。単にランチ会にはどのグループからも呼ばれないだけで。
実のところ、マイペースに自分の好きなことを追おうとしたら、グループ行動は必要ない。子どもの頃からひとりで遊ぶのに何の苦もなかったし、むしろ好んでいたから、集団に馴染めなくて嫌な思いをしたことは特にない(まぁ困ったことはそれなりにあったのだが、それは一旦措く)。
娘とは違い、「浮く私」に悩んだりはしなかった。

それでも。大人になってからも、いや、なったからこそ「浮く私」を痛感させ、今さら「なんか私だけまともにできてない」感を強める、保護者という名の、ママとしての立場。11年間支配されてきたそれから、今日解放された。

「浮く私」は、裏返せば私にだけできること、がたくさんあるということ。それを知ったから、これからは母娘ともども、支配されることなくできることに注力して生きていく。noteにこうして書くのもそのひとつだ。

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