見出し画像

私は、不登校を希望にあふれたものにしたいんだ

べつに不登校が素晴らしいとか言いたいわけじゃないけれど、もし、結果的に「不登校」という道に突っ込んでしまったとして、、、それって、めっちゃチャンスだよ、と思うんです。不登校って、これからの幸せな生き方に一番近いところにいると思うから。

今の社会って、そもそも、普通に生きていると苦しくなりやすいですね。日本がストレスが多くて自殺が多いし仕事にやりがいを感じている人が少ないなんて国際的なデータで出ているわけですし。

企業で働いたってなかなか豊かにはなれないし、周りを見る限り「幸せな仕事」「幸せな職場」なんてそんなに多くない。
日常生活だって、いまの日本はまだまだ「太っちゃいけない」とか、「結婚してなきゃ」とか「キラキラしてなきゃ」みたいに、「あなたはまだまだ足りない」っていうっていうメッセージに(実は)あふれてる。そんなもの私は気にしない、と思っても、つい気にしてしまう、なんだかんだ振り回される。

会社ではただの「労働力」であり、日常は自分の幸せって?を考える間もなく過ぎていく。

学校って、ある意味その中にどっぷりとはまってしまうルートです。

30、40代になって「なんか苦しい」って思って生き方を変えようとする人がたくさんいるのも、見てきました。
(考え方を変えるためのメソッドや、個人事業主でのサービスの提供の仕方とか教えてたりするので)


そもそも「とりあえず、今の日本の社会は適当に生きていると幸せになりにくい」んですよ。

その普通のルートにのれなかったことって、大きな問題じゃないです。

それどころか、むしろ幸福かもしれない。いま、そこから外れようとしていることって、軌道修正の機会として最高なんじゃないか、ほんとうは、不登校ってめっちゃチャンスなんじゃないかって話です。


不登校って「別の可能性を開く」ってことに一番近くにいるタイミングでもあるんですよ。

不登校をしていると、自分は何が向いているのか?何が楽しいのか?を模索する時間がつくれます。
何かをやってみたいとか、作ってみたい気持ちになったとき、没頭することもできますね。

これ、めちゃくちゃ得ですよ。

普通に学校行っていると、それなりに忙しいから、気づかず通りすぎてしまう「自分はどんなことがしたいのか?」という問いに10代のときから向き合えることって、将来の自分の幸せに直結します。

私は、不登校の子どもを持つお母さんの悩む姿を見るたび、「もったいない!!!」って思っちゃいます。


不登校って、可能性の宝庫で希望のはじまり。

幸せで豊かな世界って、けっこう「普通のちょっと外側」にあるもんです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?