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人が「自分の限界値」を過小評価するとき

人は与えられた痛みや苦しさは結構耐えられる。たとえば、誰かの死にしても、転勤にしても、災害にしても、病気にしても、過酷な労働にしても。

人生のなかで、自分の環境をガラッと変えるほどの大きな変化が降ってきたり、病気になったりすることはある。人生の痛み苦しみのほとんどは予期しないものだけど、もしそれが身に降りかかってしまったら、なんとかかんとか人は受け入れたり、乗り越えたり、耐えたりできる。

「それをやるしかない」「受け入れるしかない」ときの人間の耐えられる限界っていうのは、わりと大きい。

でも。

でも。だ。

未知の世界に飛び込むことや、新しい世界に踏み込むこと、その恐怖や一時的な痛みについて、人は耐えがたいと思う。

転職や起業、自分のやったことのないものにチャレンジするとき、人は「できないかも」とか「失敗するかも」「こうなったら嫌だな」なんて、怖がる。
その先には自分の望む世界があって、今までいるところよりずっと豊かで、楽しそうで、楽そうであっても・・・「やるのが怖い」と思ってしまう。

おそらく、実際やってみれば、ほとんどの「慣れるまで少し頑張る努力」「失敗したときの痛み」は自分の痛みや苦しみの「耐えられるMAX」に比べると、だいぶ小さいのに。

思うに、「人の痛み・苦しみへの耐性」は、決して小さくはない。

誰だって、突然の事故や病気で身体が不自由になったり、ひどい痛みに襲われても、一応は耐えられる。
「余命〇ヶ月」と言われたとしても、なんだかんだ受け入れられたりする。死の恐怖というのはまあまあ大きいわけだけれど、人はそれにも耐えられる。

女性の妊娠なんて、過去も含めれば人類の数億、数千億人が経験してきたし、子どもがいる女性はもれなく経験しているくらい「人類としてはよくある経験」なわけだけど、数か月のつらいつわりと、出産の痛みだって(その時はめちゃくちゃ痛くて苦しくても)乗り越えてしまう。

会社の繁忙期に休みなく働いたりなども、それが避けられないときは、わりと耐えられたりもする。


ほんとうに不思議だ。
突如として降ってきた痛みや苦しみ、環境や人に強制されての痛みや苦しみなどは、わりと人間、耐えられるのだ。


ほとんどの人が、今までの人生を思い出して辛かった出来事のあれやこれやを思い出したら、結構大変なことを経験していたりはするものと思う。自分の人生のなかで、よくあの痛みや苦しさに耐えられたな。という事実のひとつふたつ、見つけられるのではないだろうか。

いろんな痛み・苦しみを超えて生きているわけだ。
そう、人は痛みや苦しみに耐えられる。

それが「与えられた、不合理なもの」であるならば。

なんて、言い過ぎだろうか。


でも・・・そう言ってみたくなるくらい、人は、新しい状況に行くことを怖がる。自分で選択した先にある「かもしれない」痛みや苦しみを怖がる。

たとえば、起業しよう、個人事業主になろうとした人で、
告知するのが怖いとか、集客が嫌と言うのは、わりとよく聞く。
転職や離婚にしたって、本当はしたいのに、何年も考えているだけで動き出せなかったりもするなんてのもあるだろう。

今とは違う自分の生活、人生、生き方を望むとき、
そこには未知の世界がある。

そこは今までの世界とは違う世界で、今までの習慣を変えなければならなかったり、考え方を変えなければならなかったりする。新しいことをはじめるためにいろいろやることがあったりもする。

それを思い浮かべたとき、そこに「あるかもしれない」失敗や挫折をふとイメージしてしまったりして、そこで立ち止まったり、あきらめてしまう人は多い。

でも、当人がほんとうにそこにある障害(もしかしたらそこには多少の痛みや苦しみがある)を超えられないかというと、たぶん、いや「ほぼ」、そうではない。

おそらく、実際にそれを体験したとき、その人の耐えられる痛み・苦しさよりだいぶ小さい。
「こんなもんでいいのか!たいしたことないじゃん!」ってびっくりするほどかも。

つまり、自分から取りに行く痛みや苦しみは過大評価するものなのだ。
実際より痛みや苦しみを大きいはずと感じているだけで、実際は「普通に超えられたり」する。

自分が苦しかったとき、痛みを感じていた時のことを思い出してほしい。

大変ななかでも、なんとかかんとかやれて、工夫して新しい考え方を見出したり、それまでよりうまくやる方法を見出したり、そんなことは今までの自分に「できた」ことなのだ。そのとき、その環境について初心者だったのに、そこにいたらなんとかかんとかやれるのだ。

「予想してなかったトラブルのひとつやふたつ」があっても、今までの人生で「予想してなかったトラブルのあれやこれや」を乗り越えてきたように、なんとかかんとかやれるはずなのだ。

自分の恐れていることは、あなたの実力に比べれば、全然小さいもの

しかも自分から選んで新しい環境に行くときには、「不合理な痛みや苦しさに耐え続けなければならない」という我慢がない。
さらに、その先に行くと、今よりもラクで、幸せで、自分の人生を好きだと心から思えるような、素敵な人生があるかもしれない。


自分の底力を過小評価しちゃいけない。
だいたいのことは、いざやってみるとやれるのだ。


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