母というひと-090話
結果的に、母の付き添いをやめたのは正しかった。
夫婦仲がさらに悪くなる可能性がないとも言い切れず荒療治だったかもしれないが、母は予想よりもスムーズに、頼る相手を父へとスライドした。
それが母だ。
こうやって誰かに依存し続けるような生き方が、子供の頃の私にはひどく醜く見えた。
だから嫌って、遠くへ逃げた。
でも、この嫌悪感は、母の過去を深く知るほどに薄れていったような気がする。
個人的には「運命のせい」という言葉が嫌いだ。今も。
信仰なんてまったく持っていない人が、悪いことが起きたときだけ「神様は意地悪だ」とか「神様はいない」と口走るのと同じくらいに。
神仏を信じていないなら、良いことも悪いことも運命じゃなく単なる現象のはずなのに、悪いことが起こった時だけ、見えない存在のせいにするのがどうもピンと来なかったから。
けれど母を通して、運命や時代に翻弄されたとしか言えない人がたくさんいるのだと体感として理解できた。
私の考え方は、平和で飽食の今の時代に育ててもらったから保てているだけだ。もし母ほど過酷な幼少期を過ごしていたら、同じ道を辿ったのではないのか。
かかる運命に抵抗するには、強い信念か、個性か反発、または導く存在が必要だけど、その全てが母にはなかった。
先天的な性質と後天的に形成される人格の折り合いをつけるための知恵は、生きていればどこかで獲得できるはずだと、ずっと思っていた。
でも、母の人生の中にはそれが見当たらない。
彼女に与えられていたのは、自己を成長に導く人や書物との出会いなどではなく、暴力をふるう兄達と、封建的な夫との暮らしだった。
強い抑圧を受け続ければ人は壊れる。
母はかろうじて壊れる寸前を保ち、ギリギリの感覚で生きて来たんだと、今は思える。
抑えきれないほどの父への恨みは、つまるところ頼る人が他にいない不安と、愛情の裏返しだった。百戦錬磨の異性関係を(おそらく結婚後も)続けてきた父に対して、母は後にも先にも、父一人なのだから。
3ヶ月ごとに課せられた悪性リンパ腫の再発チェックに父の付き添いのもとで通い続けた母は、とうとう節目の5年を無事に過ごして「寛解」のお墨付きをいただいた。
それにしても、気力も体力も底をついて家事をまったくしなくなっていた母の代わりに、父が黙って全てを引き受けたのにはびっくりした。
掃除も洗濯も料理も後片付けも、嫌な素振りひとつ見せずにやり始め、それが功を奏したのか、母の激しい怒りはほんの少しずつだがトーンダウンするようでもあった。
もちろん、浮気した夫への激しい憎悪の念がすっかり消えるほど甘くはなくて、時折どうしようもなく荒れる日が来る。突発的に。
ある日などは突然110番に電話をかけて「うちの夫を逮捕しろ」とわめいたらしい。「こんやつはろくでなしの嘘つきじゃ。犯罪者じゃ。逮捕しに来い」と。
放っておけない剣幕だったのか、本当にパトカーが来てしまった。母の様子を見て驚いた警官は、父にこう助言したそうだ。
「あなたの身が危ない。家の中の刃物を全部隠しておきなさい」
父は耳が聞こえないので、母がどこに電話して何を話しているのか分からずにいた。突然警官が来て驚きはしたが、ことの次第を理解した途端可笑しくなって、警官に笑いながらこう返した。
「いや大丈夫です。迷惑をかけてすまんことでした」
昭和の時代を生きた元新聞記者だ。泥にまみれた仕事もこなして来ただろうし、警察署に張り付いて、海千山千の刑事達と駆け引きしてはネタを引き出した話なども少しは聞いている。警官が家に来たくらいで動揺するようなタイプではない。
むしろ状況を滑稽と感じる余裕さえあったようだが、警官たちからは「あなた、笑いごとじゃないですよ」と、たしなめられたそうだ。
警官はすぐに帰ったが、おさまらないのは母だ。
父が逮捕されなかったことで怒りが増したらしく、もう一度110番して「この役立たず!」と怒鳴ったらしい。
ケラケラと笑う母に、焦った。
二度と同じことをさせないために、何をどう言えば良いのかと迷ったが、単純な伝え方をするほうが良さそうだと考えて、子供に諭すように話してみた。
「あのね、警察にそんなことしたら母さんが逮捕されるかもしれんよ」
「えっ」と母の顔色が変わる。
「警察はね、浮気とかでは人を逮捕したりできんの」
「そうなんかね」
「うん。犯罪を犯した人しか逮捕できんの」
「浮気は犯罪じゃろがえ」
「ええとね……」
こんな調子のやり取りをしばらく続けて、浮気は悪いことだけど、それで逮捕はできないのだとどうにかこうにか話して聞かせた。110番というものは、夫婦喧嘩したくらいでかけてはいけない番号だということも。
健康だったときの母なら、こんなことはしたくてもできないだろうに。
彼女の心が妙な形で壊れていることを、このときばかりは思い知らされた。
*****
少し、自分の話を。
母のサポートを続けている間に、あの稼がない同居人と籍を入れ、長続きせず離婚した。
離婚理由についてはまるっと省く。特に面白い話でもないし、相手があることなのでこれ以上は語るまい。
離婚した後、開放感よりも疲労感というか脱力感におそわれて、これではダメだと思い、自分を元気にするために仕事やらバンド活動やらボイストレーニングやらに没頭して、やっとエネルギーを取り戻した頃。今の夫と知り合った。
再婚と同時に彼の実家に住むことになったとき、妙な因果を感じたものだ。
そこは父のふるさとであり、父の愛人が今も住む場所だったから。
それでも母は、私の再婚を喜んだ。
「そりゃやっぱり結婚してくれたほうが安心じゃわね。女が1人で生きていくのは大変よ。あんた良い人と出会えて良かったねえ」と。
警察に迷惑をかけたあの一件は、私が再婚して数年経った頃の話だ。
こんな内容でもふんふんと聞いてくれる夫がいてくれて、私は今も元気でいられている。
両親の前では穏やかさを保つように努めているが、一度だけ、感情が大爆発したことがあった。私の頭の中だけで。
今から3〜4年ほど前になるだろうか。
私といる時間は愚痴タイムになっていた母は、だいぶ控えられてきたものの父への悪口と「早く死にたい」「生きていてもしょうがない」という発言を繰り返し呟いていた。
それをなだめすかしたり話題を逸らしたりしながら支え続けてきたつもりだったのだが、
ある日、母が電話で、何かの拍子に元気良くこう言ったのだ。
「私もこれからは体に気をつけて、長生きするけんな!」
私は「そうよ。元気で笑って生きんとね」と励ましの言葉を口にした……と同時に、頭の中で、突然何かが吠えた。
母と話している自分の声が聞こえないくらいの大声だった。
まるですぐそばで人が叫んでいるような。しかし声は脳の中だけで響いている。
一瞬、精神分裂症でも起こしたのかと思うほど、はっきりとした意思が感じられた。
とっさに(そんなことを考えてはいけない)と、「母と会話をしている自分」が「脳内の声」を押さえつけようとしたが、それが自分の奥底から湧いて出た声だとも瞬時に自覚できてすぐに考えが変わった。
(いや、言いたいように言わせてやろう。
10年もの間、母の前では自分の意見や気持ちをまるごと隠して接してきたんだから、脳の中でくらい正直に叫んで何が悪い?)
そう思った途端、声はまるで解放されたかのようにしばらくの間いろんなことを喚き続けた。
それは自分の声であり、まるで他人の声だった。
私の本音だろう言葉を客観的に聞きながら、「私」は母と会話を続けている。ほんのわずかな時間だが、「声」と「私」がいて、両者を見つめている第3の目もあったと思う。
何分くらい続いたんだろう?ある程度喚き散らしたのか、声のボリュームがすうっと落ち始めた。
(え、もう終わり?)と追いかけてみたが、深い深い場所へ吸い込まるように遠ざかって、最後には消えて行った。
第3の目も同時に消えて、私は「私だけ」に戻った。
誰も知らない出来事だけれど、あのとき確かに私は3つ、いた。
声や言葉遣いは男性的だった。いつもの私のものとは違っていた。
あれがイド(id)に住む、本当の自分の声なんだろうか。
イド。本能的衝動の貯蔵庫と呼ばれる、人間の精神の深い深い奥に潜むもの。
精神分析で用いられる言葉だが、他にしっくりくる表現がない。
個人的には面白い体験だった。興味深いという意味で。
でも、さすがに自分の気持ちを押し殺しすぎたんだろうと反省もした。
自分では全然大丈夫だと思っていたけど、意識が分離して脳内で叫び始めるくらいには、無理をかけていたんだろうから。
溜まったものを思いっきり吐き出して何かが解消できたのか、電話を切ったあとは妙に気持ちが軽かった。
この経験があるから言える。
病気を患う家族を持つ人が遊びに出かけたりすると「家族を放って自分だけ楽しむなんて不謹慎な」などと言い出す人がいるけれど、そんなものは気にしなくていい。
ケラケラと笑い飛ばして返事もせずに立ち去っていい。
なんなら縁を切ってもいい。
笑え。
楽しいことをして、どんどん笑え。
辛いとき、きついときほど笑え。
嘘でもいいから笑い疲れるくらい笑ってみたら、どんな悲惨な状況だって小さな光が見えてくる。
開き直りという名前の小さな光が。
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