母というひと-093話
父の手術が成功して両親の生活が落ち着いた頃、随分前に見た夢を思い出した。
夢に意味を求めても仕方がないことは分かっているが、目覚めた時に口が乾いていて、舌の奥に苦さを感じたのを覚えている。
(もしかしたら父さんは、唐突にいなくなるのでは)という不安が胸に残った。
時折そういう人がいる。体力気力が充実していて多少の不調でも動けてしまうのか、不調を感じて病院に行った時には手遅れになっているようなタイプだ。
実際、あっけなく亡くなった知人がいる。
「咳が止まらんけん病院に行ってくる」と自ら車を運転して行った10日後に帰らぬ人となった。肺がんだった。
父の大腸癌発覚の経緯も、似たような流れだ。
もしも便秘が少しでも解消していれば、父のことだから病院になんて行かなかっただろう。
受診が遅れて腸壁が破れていたら、全身への転移は免れなかった。
もしそうなっていたら、今ここに父はいたのかどうか。
退院後も強気を保とうと頑張っていた父だが、腹筋をうまく使えなくなったことで行動量が落ちた。
「腹に力が入らんのだ」とぼやく回数が増えた。そして昨年から、たまに「死の予感」を口にし始めた。
10年以上使っているかもしれない潰れた座椅子に、座布団やクッションを重ねて厚みを増し、そこにどっかりと座るのが両親のスタイルだ。
あぐらをかいて私とサシで飲みながら、「俺はダメだぜ、もう」と呟く。
運動量が減ると同時に、父にも軽い認識の衰えが見え始めた。
何度も同じ話をするようになり、私が離婚する時には(2度目の結婚も終わりを迎えた)、法律を妙に間違えた解釈で私に確認を求めてきて、何度「それは違うよ」と説明しても、とうとう内容を理解できなかった。
数日経ってから正しい回路が脳の中でつながったようで「変なことを言ったな。すまんかった」と謝罪されたが、当たり前のことを誤認して喋り続けた自分に大きなショックを感じている様子だった。
家事を全て担っている父が衰えると、家の中がいきなり薄汚れたようにくすみ始める。
トイレが臭うようになり、たまの私の掃除では追いつかずに、先日とうとうひ孫(私の姪の子供)から、「臭いけんトイレに入りたくない」と拒否されてしまったらしい。
次の時に新しいトイレマットを買って持って行って臭いの元であろう古いマットをどかしたのだが、私が帰った後、新しいマットの上に古いトイレマットを父か母かが被せて、結局元通り。
予想内の反応だったので、今はそのまま置いてある。
娘と言えど、自分が頼んでいない事をされるのは嫌なのだ。その気持ちも分からないではない。
母のほうはと言えば、ガタガタと記憶や理解のバランスを崩している。その変化はここ数ヶ月で勢いを増した。
ないものを「ある」と言い張ったり、20年も前に他界した自分の姉が生きていると言い出したり、はたまた「男(伯母の元夫達のこと?)に殴り殺された」と物騒な妄想が始まったり、母親(私の祖母)が亡くなった年齢が話すたびに変わっていたりするのは日常茶飯事。
自分の過去と他人の過去が混ざるような状況も増えた。母自身の体験として聞かされる話の何割かが事実ではないものになっている。
本人は事実と信じて話しをするから情緒豊かな表現でリアルさもあり、聴いている方が混乱しそうになるので大変だ。
ある日は突然家を出て、どこかへ行ってしまった。
仕事中に「今からあんたのとこに行く。この家を出たい」と電話を掛けてきたところを見ると、何か不穏な気持ちが高じたのだろう。
「お金がないけん、あんたに預けていた着物を売ってお金を作る」と言うのだ。
母の足でバスと新幹線を乗り継ぐのはもう不可能だし、普段は「もう一人で電車には乗りきらん。どこも行きたくない」と言っているのに、こんなふうに神経が立ってしまうと人の意見は全く耳に入らなくなる。
「一人で行ける」「すぐ行くけん家におって」などと一方的に言って寄越した。
私は「車で迎えに行くから、家で待っとって」とか「着物は前に処分したやん?」とか「今は着物を売ってもお金にはならんよ」とか、ああ言ったりこう言ったりしながら、母の気を逸らす努力を必死にしてみた。
一度電話を切り、少し時間を置いてからもう一度電話をかけて話題を切り替えようと試みた。
しかし失敗したようで、私との電話を切った後、ふいといなくなったと父から聞いた。
後から分かったことだが、母は封を開けていない新しい服の包みを2枚ほど抱きしめて家を出ていた。
「クリーニング屋にでも行こうとしたんだろうよ」と父は言う。
(違う)と思った。
おそらく母はその服を売りに行こうとしたのだ。
昔、時々立ち寄っていたリサイクル店に行こうとしたのではないだろうか。10年以上も前になくなっている店に。
結局、「行こうとした店が分からんくなって、自分がどこ歩いとるか分からんくなってな、道端で転んでなあ。親切な人が家まで送ってくれたんよ」、ということらしかった。
「その人は?お礼をせんと」と言うと、「はあ?」と呆けた声が返ってくる。「ああ、そうじゃわ。何も聞いとらんわあ」
(そうか。もう、そんな配慮もできなくなったんだね)
ポツリと胸に、寂しさが落ちてくる。
社会常識とかマナーというようなものが早めに抜け落ちるだろうことは予測していた。それでも他人に恐縮しながら生きてきた人だから、助けられた時の感謝くらいは忘れまいと考えていた甘い自分に気付かされたのだ。
服2枚くらいリサイクル店に売って、いくらになると思っていたのだろうかと、その行動にもがっかりする自分がいた。
だってその服は、1枚千円かそこらの安物だ。そんなものを売って、どうなると言うのか。そんな計算ももう、できなくなったのだな、と。
転んだ時に顔をしたたかに打ったと母は嘆いた。
「最近、外に出ると必ずこけるんよ。私はなんて運が悪いんやろうかねえ」
転倒すらも運の悪さだと言う母。
ああ、これが母だ。母の、不運レッテルだ。
転けるのは筋肉が弱くなってすり足でしか歩けなくなったせいだけど、そんな事実を本人に突きつけても意味はない。
(結局この人は、母というひとは、「私は運が悪い人間だ」という自分に貼ったレッテルを最後まで剥がせないんだ)
そう思うと、母を笑わせようと頑張ってきた自分の努力が無に帰したような脱力感が訪れた。
その、たった一言で。
母の人生が始まった数年間を考えると、確かに、幸せを感知するアンテナを育てるのは無理だったのだろうと思う。
物心ついた瞬間に、母親に捨てられそうになったショック。
幼少期に受け続けた兄達からの暴力。
父親は自分が生まれると同時に死に、子供達を食べさせるために行商に出る母親は月に1度しか戻らず、大人のいない家で生きる不安。
貧乏すぎて毎日の食事もまともに取れなかった強烈な空腹感。
病気で立ち上がれず寝たきりになった時期の暗くて陰鬱な体験。
(でもそれを補えるくらいの収入を稼いでくるパワフルな夫を持ったのはラッキーじゃないのか)、と私はずっと考えていた。
「貧乏は嫌じゃって子供の頃はずーっと思っとった。貧乏から抜け出せますようにって祈っとったなあ」と、繰り返し過去の話を聞かされてきた私には、母の最大の願いは叶っているように見えるからだ。
(いい加減に切り替えて、贅沢を満喫するなり趣味に没頭する日々を謳歌すれば良いじゃないの)と歯痒く思っていた。だからいつもいつも「うちは貧乏だ」と言い続け、不幸だ不幸だと唱える母に腹も立てたし、社会経験もないのに正しさばかりを押し付けてくる行為を嫌悪して家を飛び出したりもした。
それが、その一言で全部溶けて……解けて、消えた気がする。
母の脳は、感覚は、全て、不幸の土壌に撒かれた不幸の種を拾いながら成長してしまったようなものなのだろう。
そこにたまさか大きな幸運の種が芽吹いて大木を成して、その庇護のもとに生きられたとしても、雨天に泣き、風に揺れては不安で縮こまる性分を変えることなどできないのだ。
大木の枝葉を使って傘を自作することも、雨風を凌げる木のうろを探すことも、できない。
自ら動く方法を知らない、小さくて弱い草のようだ。
母は、不幸という根を張って、1mmも動かずに生きてきた生き物なんだろう。きっと。
認知症が進むにつれて、父への強烈な怒りと恨みも忘れたように見えて安堵していたのだが、きっとそれも私の未熟な希望的観測だ。
「この家から出たい」と電話越しに聞いた母の声には、苛立ちが強く感じられた。父の浮気の騒動の時に、何度となく聞いた声だ。
「これから徘徊が始まるな」と父が呟いた。うん、と頷く。
もしくは寝たきりになるか、どちらかだねと。
細かなフォローができない父に変わって対策を進めているけれど、これまで1人で外出して転けたり倒れたりした時に、運良く通りかかった人に毎回助けられている母が、いつまでそのラッキーを身につけていられるのかは疑わしい。
いつか、何かが起きる時が来る。その条件が着々と揃って行く。
転倒しやすい体。外に出て目的地を見失う認知機能。食べ物を喉に詰まらせて2度も危険な状態になったこともあるからには、家の中にいれば安心というレベルも通り過ぎたようだ。
何かあった時は諦めざるを得ない。
それが、父と私の共通の認識となった。
できることはもちろん最大限する。でも延命治療はしないという母自身の希望もあるし、何よりもしもの時に緊急医療を受けて命を繋ぎ止めたとして、QOLを考えると最善の選択とはとても言えない。
そういう地点に到達したのだなと、座椅子にきちんと座る力も失って、ほぼ仰向けに体を投げ出している母の姿を、父と2人、黙って眺める時間が増えつつある。
今回の93話は、何度も何度も書き直した。
何を書いても納得できなくて、何回もまるごと消した。
不思議なことに、そうする間に、私の中で母を引き取る心の準備が整ってきたように思う。
少し前まで、母より先に父が逝かないようにと必死で願っていた。
その気持ちが、憑き物が落ちるように消えた。
父は母を施設に入れることを検討しているが、正直に言えば難しいだろう。母が対人恐怖症であることもだが、私が、それをできない。きっと。
幸いにも、という言い方は良くないのだろうが、私も離婚して身軽になった。これからは、母を引き取ることも誰に遠慮なくできる。
だから何かあったら、こちらへ連れてこよう。
そのための準備を、始めようと思う。
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あの日、母を家まで送ってくださった方へ
助けていただいたお礼を伝えたくて、Twitterで母が迷ったのではないかと思える地名を入れて拡散希望と書いてみたのですが、届きませんでした。
ゆっくりしか歩けなくなった母に付き添って送り届けてくださって、本当にありがとうございました。
どこかへ出かけるか、ご自宅へ帰られる途中だったのではないでしょうか。
大切な時間をいただいてしまったこと、そしてお名前も尋ねず、きちんとしたお礼もしないまま帰らせてしまった無礼をどうかお許しください。
その優しさが、これからずっと、ご自身の護りとなりますように。
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