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世紀の大失恋のはなし。

約30年の人生の中で、いつも通りの明日が来るのは当たり前ではないということを、私はわかっているつもりで全然わかっていなかったみたいだ。

願って願ってひたすら引きずって、現実逃避したりもしたけどやっぱりダメで、何年も経って諦めがつきそうな時に願いが叶って、そうして再び巡り会えた大切な人がいた。

奇跡が起きてもう一度会えたら絶対手を離さないって、会えるかもわからないうちから決めていたけれど、再会してまた何年か後に逆に手を離されることなんて全く想像できていなかったんだから、我ながら甘すぎる。

冷静ぶって受け入れる姿勢を見せてみたり、やっぱり無理だと取り乱したり、必死ですがりついてみたり、説得しようと考えを押し付けてしまったり、1人でいるのが苦しくて、優しい友人や家族に泣きながら話を聞いてもらったり。

時が戻せたら、もしくは心の傷がかさぶたになるまで時を進められたら、なんて叶うはずもないことを考えてみる。

立て直してはすぐに崩れて、持ち堪えては涙がこぼれて。立っているだけで精一杯ってああこういうことか。

前を向けなくなっているのに朝は来るし、やめてくれよと思ったって日は沈んでまた静かな夜が来る。

たかが失恋。それでもわたしの全てがなくなったような気持ちになるのは、それだけの気持ちを抱えていたからだろう。自分でもびっくりするほどの大きな感情と暮らしていたんだなあと思う。私のちっぽけな心のどこに収まってたんだろうこの気持ち。

こんな時、世界中の人たちはどうやって歩いているのか、いくつでもいいから教えてほしい。切実に。

愛おしすぎて手放せないこの感情と、今日もともに歩いて、眠って、明日は少しでも多く笑えるだろうか。

弱くて情けない自分の手を引いて、ほんの少しだけでも前に進めるだろうか。

そんなことを考えてしまうどうしようもない夜の話。




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