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輪舞曲 ~ジロンド⑪~

「どうしてなんだ?ご主人も、娘さんも、君を待っている。会うたびに君のことを聞かれるんだ。・・・それに、ビュゾーも心配している。ここを出て、ビュゾーに会ってくれ。彼はこの国を変えるために、君の力を必要としている。」
「ビュゾー・・・彼は、上手く逃げられた?」
「ああ、君のおかげで。別の仲間と一緒に、ジロンド派をもう一度盛り上げようと頑張ってくれている。だから、一緒にここから出よう。皆に会いに行くんだ。」
 前だったら、お母さまは必ずこの言葉に飛びついたでしょう。でも、お母さまが言ったのは信じられない言葉だった。
「ごめんなさい。わたくしは行けない。」
「どうして・・・?」
「だって、もしここから出たら、どこへ行くの?ビュゾーのところ?・・・いいえ、彼のところではないでしょう?ジャンや娘のところでしょう。」
「そうに決まっているだろう。」
「わたくし、もう疲れてしまったの。良い妻でいることにも、良い母親でいることにも。わたくしは、わたくしよ。どこにいたって、わたくしなの。それが、やっと分かったわ。もう自分を偽って生きていくのは御免なの。いくら長く生きしようとも、好きなように生きることが出来ないなら、もう結構よ。わたくしは、ここであの人のことだけを想って過ごしているわ。」
 聞いたひとは、言葉を失っていた。聖母のように清らかな女が、まさかそんなことを思っているなんて考えもしなかったのでしょう。
 あたくしも耳を塞ぎたくなった。嘘よ、嘘よ!お母さまがそんなことを言うなんて!あの幸せな生活を、お母さまはちっとも幸せだと思っていなかったの?ずっと嘘をついていたっていうの?
「わたくしは、結婚して子供も産んで家族のために必死に頑張ってきたわ。だって、この国では女の価値なんてそれしかないのですもの。周りより賢くても、美しくても・・・女がこの国で認められることなんて決して無い。それを変えたくて革命を支持してきたけれど、結局、国を動かすのはいつも男だわ。そして、最後は男の都合の良いようになっていくのよ。」
 お母さまは嘲るように笑った。
「もうどんなに頑張っても、ジロンド派が議会の中心になることは難しいんじゃないかしら。わたくしたちの主張が正しいとかそうでないとか、そういったものすべてを大きな波が飲み込んでしまった。とっくに民衆を操ることは出来ないのよ。今はダントンが民衆を動かしているように見えるけれど、これからどうなるかは分からない。もう流れに身を任せるしかないわ。この国がどこに行きつくのか、良くなるのか、悪くなるのか分からなくても。」
「君は諦めてしまうのかい?」
「諦める・・・?そうね、革命の表舞台に立つことは諦めましょう。わたくしたちは選ばれなかったのよ、神様に。」
「そんな・・・。」
「ただ、すべてを諦めているわけではないわ。ダントンがわたくしの悪い噂をばらまいて罵ろうとも、必ず汚名をそそいでみせる!必ず、わたくし自身の手によって!」
「じゃあ、尚更ここを出るべきなんじゃないか。これが最後の機会なんだ。もう、君に会いに来ることも、紙やインクを持ってくることも出来ない。時間が無いんだ。」
 そう言って、お母さまにあたくしを押し付けた。あたくしの身体には、小さく折りたたまれた脱出計画書が巻き付けられていた。お母さまは、あたくしの身体にあるものが何か気づいたのだろう。
「少し、待っていて。」
 そう言うと、あたくしを奥にある場所まで連れて行き、何枚かの紙を無理矢理折りたたんで身体に巻き付けた。お母さまは、紙をぎゅうぎゅうと紐で縛り付けたあと、待っていた男のひとにあたくしを返した。
「では、最後に書いた原稿を持って行ってくれるかしら。娘に渡して頂戴。これで本当に最後よ。今までありがとう。」
「ジャンヌ、待ってくれ!」
「わたくしはここにいるわ。でも、あなたの気持ちは嬉しかった。ありがとう。早く出ないと、あなたも危ないわ。」
 行って、と言うようにお母さまは手を振った。逃げ出したいとか、そういった気持ちはちっとも感じられなかった。お母さまは、家にいた時と同じように、ただ堂々と立っていた。
 見回りに来た兵士が怪訝な顔でこちらを見ていたので、男のひとはあたくしを抱えて急いで牢を出た。外に出たあとも、誰かにつけられていないか何度も周りを確認していた。
 あたくしも、しばらくのあいだずっと緊張したままだった。無事に帰れるだろうか、お父さまやお嬢さまに会えるだろうか・・・パリの空は、今日もずっと薄暗くて雨が降りそうだ。


 

 

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