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輪舞曲 ~ブロンド⑬~

 話が終わると、庭師の男は立ち上がった。そして、何も言わずに歩いて行く。まるでついてこいと言われているようで、ユーグは急いで男の後を追った。
 少し歩くと、林檎の木が見えた。男は、庭で摘んだ薔薇を一輪、木の根元に置いて座りこんだ。
「この木は、あの子が小さい頃によく登って遊んでいたそうなんだ。爺さんと婆さんは、お転婆だったあの子に手を焼いていたとよく言っていた。秋になると、この木にできた林檎で、婆さんとジャムを作っていたそうだ。本当は、あの子が大好きだったこの木の傍に墓を作りたかったらしいが、流石にそれは許されず、亡骸から取ったひと房の髪を埋めたそうだ。」
 男はしばらく目を閉じたあと、立ち上がってゆっくりと歩いて行った。振り返ることなく歩くその背中に、ユーグはずっと疑問に思っていたことを聞いた。
「ジョルジュ氏が街で注文したという梯子ですが、受け取ったのはあなたではありませんか?」
「・・・受け取ったのは儂じゃない、孫だ。あの日、たまたま手伝いに来ていたんだ。ふん、あの若旦那が何をしようと思ってたかなんて、すぐに分かったさ。何にも知らないくせに興味本位であの部屋を覗いて欲しくないね。あの部屋は、あの子が亡くなった時のままにしてあるんだ。あの子が読んでいた本も、並べてある食器も、何もかもだ!ここにいたいと言っていたあの子が、いつまでもあの場所で暮らせるように。」
 その言葉はユーグにも向けた言葉なのだろう。あの場所は、今でも少女を慈しむ人々が大切な思い出に蓋をして残しているのだ。愛された少女を守るために、そして、少女との思い出が消えてしまわないように。
 男は、庭の外れにある小さな小屋に入っていった。そこは、庭仕事に使う箒やバケツ、荷車などが置かれていた。道具を片付けながら、男は振り返ることなく呟く。
「本当は」
 静かな小屋の中で、男の言葉が浮かんでは溶けていった。
「儂もあの子に会ってみたかった。大好きな爺さんと婆さんが大切にしていたあの子に。小さな頃から何度も何度も話を聞いていたのに、いくら待っていてもあの子に会えなかった。この庭にいくら立派な花を咲かせても、姿を見せてくれることは無かった。屋敷を貰っただけで何も知らない若旦那や、何の関係もないあんたには姿を見せるのにな。」
 自嘲するかのように言った最後のほうの言葉は掠れていて、小さく震えている身体は泣いているように見える。
「あなたが満足する答えではないのでしょうが、」
 ユーグは、庭師の背中を見つめながら静かに言った。
「彼女はよく言っていました。この庭が大好きなんだと。大好きなお爺さまが、自分のために大好きな花でいっぱいにしてくれるから、と。亡くなった人の魂は悲しそうに彷徨うことも多いのに、彼女はいつだって幸せそうに見えました。それは、あなたがお爺さまと同じように、彼女を想って庭の手入れをしてきたからではないですか。庭の手入れが重労働なことは、素人の私でも知っています。あなたが、亡きお爺さまの意思を継いで庭を育ててきたからこそ、きっと彼女は今でもこの屋敷で幸せそうに暮らしているのだと思いますよ。」
 男は背を向けたまま何も言わなかった。少女とユーグが話したことなど信じられないのかもしれない。信じられなかったとしても、それで構わない思った。ユーグは軽く会釈して納屋を出て行こうとしたが、ふと立ち止まって振り返った。
「ああ、そうだ。彼女はいつも、お手伝いしなくちゃいけないからと言って庭の中へ行くんですよ。ひょっとしたら、今までもあなたのそばで手伝っていたのかもしれません。もし彼女がいるのかもしれないと思ったら、話しかけてくれませんか。きっと喜ぶと思いますよ。」
 ユーグはそう言うと、軽い足取りで歩いて行った。
 庭師の男は棚に手を置いたままうつむいていたが、しばらくすると誰に言うともなく呟いた。ふと目に入った大きな手は、日焼けしていて深い皺が刻まれている。
「今までもそばで手伝ってくれてたのか・・・。話しかけてやれなんて、こんな爺さんがなぁ。もっと若いときだったら良かったのによ。そんなこと言われちゃ、そろそろ引退しようかなんて言えなくなっちまったな。」

 

 

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