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パートナー氏が「虐待サバイバー」なのだと改めて気づき、丸ごと愛していくと決めた

3年前から相方となってくれている2歳年下のパートナーNu氏。深度の違いはあれど、精神世界的な話題そして見えない世界への関心などお互いなんとなく似ているところがあり、ときどきケンカしながらも深く話し合えるいい関係を築いてきている。

そんなNu氏は、無骨で言葉数も多くないけど、心やさしくおだやかでどちらかというと女性的な存在。男性性が勝るASDなワタシにはぴったりなお相手。なのだが、どうしても解せないところがいくつもあった。

たとえば、彼のお金の使い方である。

わたしは育った家庭環境もあって、「稼いだお金はとりあえず貯めておく」のがクセでなかなかうまく使えないことも多いのだが、彼はその逆。よく言うと、非常に気前がいい。場合によってはそれなりの高い金額でもさっと支払う。

しかしそれは、ときどきかなりの無謀でもある。いや、無謀の域を超えている。それを支払ったことによって、その月の自分の生活が半端なく窮してしまうこともあるくらいだ。

たとえるなら、友人から話を聞いたクラウドファンディングにポンと20万円を払う。友人は喜ぶし、一般的にはすばらしいことだ。

そしてしばらく彼は、自分の生活に窮する。500円の買いものにも躊躇するほどに。身の削り方がおそろしく自虐的だ。そしてそのようなことが、何回となく繰り返し起きる。わたしはついつい「まずは自分の生活が大切でしょ? なんのためにやってるの!?」と責めてしまう。しかし彼は、自分の行動に完全に無自覚なのだ。

彼は頭のいい人なので、アタマでは理解できている。きっとこれまでの人生、何度もなんども「こうするといいよ」的な一般的な話を多くの人たちから聴いてきたにちがいない。

彼は一般的には、収入は少ない方ではなく、むしろ多い。「ふつうに」暮らしていれば苦労することもなく、貯金も十分できるくらいの生活はできる。なのに、どうしてこんなにいつも「恐ろしく大変」になるのだろう・・・

その答えが見つかった。
彼は「虐待サバイバー」だったのだ。

以前から、ぽつりぽつりと子どもの頃のことをたまに話してはくれていた。わたしは「それはひどい・・・!」と驚きつつも、彼は感情を入れることなく語っていたし、その次のときには普通の親のように話すことも多く、わたしの中で、微妙に中和されてしまっていた。

いやこれ、親に頼って生きていくしかなかった子ども時代、気持ち感じてたら生き地獄だったよね? 感情を切ることが、自分を守る術でしかなかったよね?

彼は人生で何度となく大きなできごとを経験している。そのたびに環境も変えている。しかし、いくら周りを変えても根底を見つめて変えていかないと、また同じことを繰り返す。それはそれでひとつの人生ではあるのだが、彼は「もう二度と、どん底には陥りたくない」と言う。

わたし自身は虐待サバイバーではないけど、さまざまな拗ねや思い込みを抱え生きづらさを感じている。彼をまるごと受けいれて愛していく、ということはわたし自身の見せたくないところ、大キライなところ、しんでしまいたいほど弱いところをまるっと受けいれていくのと同じことになる。非常につらいことだけど、お互い「生き直し」が必要な時期なのだ。

そう思ったのが、今月の3日。それからまだ3週間過ぎてないけど、彼にも初めて「自分は虐待サバイバーだ」という自覚ができ、わたしも関連の書籍を読み、あれこれ話していると、彼も「こういうことがあった」「これはこういう意味なのかもしれない」と、いろんなことを思い出して語りだし、生活や人生における様々な困難がすべて被虐待児特有の苦悩に結びついていることに気づきだした。そして、語る、語る。

なかなかに理解できない世界の話だが、まぎれもなく彼が生きている世界。そしていま、少しずつすこしずつ、その世界が溶けだしていることも感じる。彼自身は文章を書くことが苦手だというので、わたしがこうして文章に書いていくことで、なにか大切なことを残していくことができるかもしれない。そう感じて、彼に許可をとって記事を書いていくことにした。


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