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100日後に予約の取れないサロンになる⭐️39日目(38日目はお休みしました。)

私たちはどうして“可愛い”や“きれい”という言葉で喜ぶのだろうかと昨日の休憩時間にふと考えていました。“可愛い”や“きれい”は人によって基準が異なるのに、なぜその言葉に一喜一憂してしまうのか。どうして私たちはその言葉で“喜び”を感じるのか。
言ってくれた相手に好意を抱いていなくても喜ぶし、喜ばなくても気を悪くすることはありませんよね?なぜなんだろうって…。

こんなことを休憩中に考えていたら全く頭が休まらなかったわけです🤣笑

たどり着いた答えは、結局私たちは自分の何かが認められるとことがシンプルに嬉しいのだと思うんです🤔(何を当たり前なことを言ってるんだ!って言われそうですが…)

ではなぜ、認められると嬉しいのか。
言い換えるとこれは承認欲求です。
そして承認欲求が高い人ほど、自己肯定感が低く、自信もない。
逆かな?自信もないし自己肯定感が低いから、承認欲求が高くなるんでしょうね!

さぁさぁ、これ誰の話かって?
私の話です🤗昔の!笑

ずっとずっと認められたかったし、褒められたかった。負けず嫌いなので、兄弟で比べられるのもすごく不快でした。
もっと色々あったのですが…そんなこんなで気がつけば承認欲求の塊になっていました。

じゃあ今はどうかというと、今も自信はないです。もっともっと上があるんじゃないかって、どれだけ頑張っても考えてしまう。この考え方に対して私はダメだとは思ってはいません。

自己肯定感に関しては特別高くはありませんがが、今は低くもないかなと思っています。それは客観的に自分が見れるようになり、自分の悪いところと同じように自分のいいところもちゃんと受け止めているからです。自分に対して包容力が最もあるべき人物は自分自身だと思っているほどです🌷

では最後に、承認欲求。私も人の子なので、褒められたり認められると嬉しいです。しかし、人に認められるのと同じぐらい自分自身で認められることも嬉しいです。(自己愛強めでごめんなさい🙇🏻‍♀️笑)なぜそのように思えるようになったか。それは、頑張って上手くいくこともある。頑張っても上手くいかないこともある。どっちに転んでも私は私の1番の味方だと胸を張って言えるようになったことが、1番大きいように思います。私は私と死ぬまで一緒だから、このときどれだけ追い込まれながら頑張ったとか、どれだけ苦しかったかとか、どれだけ孤独感に苛まれたかなど、全ての過程を知っています。その上で私はいつだって私の味方で、時には厳しく、時には全てを包み込んであげる優しさを持ち合わせていたい!自分のために!と考えられるようになりました。

全ての軸は“自分”!
自分を大切にできなければ、自分以外の人も大切にはできないと考えるようになりました。

こう思えるようになったのも、きっと大学受験や大学生活で私の人生がガラリと変わったからだと思います🥰

そしてもう一つ!
それが外見です。
昔から容姿にコンプレックスを抱いていた私は鏡を見るたび「なんでこんなにブスなんだろう😟」と心の中で囁き続けてきました。しかし、外見が変わったことで鏡を見るたび否定することはなくなり、「これよく似合ってるやん!」「今の髪色いい!」「これ買ってよかったな〜」とポジティブな言葉を囁けるようになったんです🫶

“可愛い”や“きれい”の奥底深くにあるものは“認められる”ということ。
まずは自分が自分を認めてあげることからスタートしてはいかがでしょうか☺️

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