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知る人ぞ知れ

「いつも何も考えてないもんねえ」と言われた。
バイト先の同期に。

まあたしかに頭の回転は早い方ではないし、興味のないことに意識を向けるのは 得意じゃない。
したがって、あまり仕事もできない。

度々周りの人に迷惑をかけてしまっているのは分かっている。
その同期にもこれまで何度も助けてもらったことだし。

でもなんか引っかかってしまった。

別にそう言ってきたからって、その同期を責めてるわけでは決してない。
同じようなことを、同じシフトに入っていた先輩にも言われた。
だから普通の評価なんだろうと思う。


だけど、「考える」ってなんなんだろう。
じゃあみんなは何をそんなに「考えてる」わけ?
何のことについてどれだけ「考え」たら、「あの人はいつもよく考えてるよねー」ってなるんでしょうか。

私に「いつも何も考えてない」って言うのなら、あなたは何を「考えている」というのですか。


繰り返すけど、同期に対して怒っているのではない。
ただこれまでも何度か言われてきた、「いつも何も考えてない」という言葉に再び直面して、
「いっそこの機会に」と思って色々考えてみているだけ。
同期はただ、そのきっかけになってくれただけ。



私が「いつも何も考えていない」というのならば。



私が将来について考えていることは。

私が友達との向き合い方に悩んでいることは。

私が「生きるとは何か」について考えたことは。

私が日々、触れた言葉について考えていることは。

私がnoteに綴ってきたことは。


そんな私の時間は、一体何になるのだろうか。
全て「ない」に等しいのだろうか。

こうやって考えてもまだ、「何も考えていない」と言われるのならば、みんなはどれだけのことを考えているというのか。




まあでも、そうやって「何も考えてなさそう」って言ってくるのは大抵あまり深い関係の人ではない。

「深い関係ではない」というのは悪い意味ではなくて、「ちょうどいい距離感を保てている人」というプラスの意味で、である。

もちろんそういう人には、そこまで開けっぴろげに悩みを話したりはしない。
だから「何も考えてなさそう」な軽率な人間に見えるのかもしれない。


でも実際の私はかなり「めんどくさい」人間だと思う。

同期の軽い言葉ひとつで、こうしてうだうだ考えるあたりからもわかるように。
そしてそういう私を、全ての人が受け入れてくれる訳ではない。
そんなことは分かっている。

だから

「何も考えてなさそうな私」だけを見ていてくれればいい。

私のめんどくささを知らずに、能天気な人と思っていてくれればいい。


本当の私は、知る人ぞ知ればいい。


それでいい。





でもさ、

こうやってnoteにわざわざ書いてしまうってことは、やっぱり私はその同期に対して怒っているのかもしれないね。

だけど最近思う。

人に創作をさせるのは往々にして、「怒り」という感情ではないだろうか。

少し前に読んだ凪良ゆうさんの本を見て、そう強く思った。

その話は、また今度。







ここまでお読みいただきありがとうございます。
それではまた1日。



おわり

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