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2009年、24歳の私がアイガモを捌く前に思ったこと


鍼灸師を志す前、私は観光農園でスタッフをやっていました。
地元の小中学生は遠足で行くような場所で、ウインナーやハム、乳製品、ビール、パンやお菓子、野菜や米、など様々なものを生産・加工・販売していて、園内ではブタが放し飼い、そこでバーベキューやウインナーやパンづくり体験ができて、ほかの動物と触れ合うこともできる。様々な食農育体験ができる場所でした。
私はそこで、加工品の販売や食農育イベントの企画運営を担当したのですが、
今思うと、スタッフとして、なかなか経験し得ない経験をたくさんさせてもらっていて、
アイガモを捌く、という経験もそのひとつでした。
もうかれこれ11年も前のこと、24歳の頃。


その時の率直な気持ちを日記に綴っていたのを久しぶりに読み返したら、
2020年の私にはなんだかジンと沁みるものがあり、
ここに残すことにしました。
若い私ならではの、瑞々しくて青くさい感性。
生きるとか死ぬとか世界平和とか、全力で考えていた頃。
色んなことを今よりも実直に、真正面から受け止めて考えることを恐れなかった頃。

ここに書いてあるのは、アイガモを捌く2日前と、当日直前の気持ち。
付随して、農園スタッフとして感じていることやガンジス河で見た死体の話を書いています。
捌いた後のことは書いてないけれど、心の中にはきちんと鮮明に残ってるし、
それから結局、もう一度ニワトリを捌いたり、食肉センターに見学に伺ったりとう体験もしました。

経験した後って、経験したこととその後のことは覚えているけれど、
案外経験する前に思っていたことは忘れがちなもの。
当時の私のファインプレーに拍手を送りたい。

では以下、24歳の私からの瑞々しい送りもの。


2009年10月17日(土)
月曜日になったら、アイガモを捌きます。


アイガモ農法をするために、会社で飼いはじめたアイガモたち。
今日もアイガモは、何も知らずにガーガーと鳴きながら餌を食べていた。
いや、もしかしたらもう何もかも、知っているのかもしれない。
半ば諦めているのかもしれないし、
むしろ早くさばいてしまえって思っているかもしれない。
すきあらば、逃げようと思っているかもしれない。

今生きて、ここにちゃんと居るいのちが、
明後日には捌かれて、お肉になって、人間のお腹に入って、肉と血になり、うんこにさえなる。
なんて不思議で、なんてリアリティがあって、なんてあっけなくて、なんて大切で、なんて単純で、なんて…


生まれてはじめて、いのちを捌く。
私は泣くだろうか?それとも平気だろうか?
野菜を引っこ抜くのも、ごはんを残すのも、平気でできてしまう私が、
突然無理になるのも、なんだかおかしな話な気もするし、
そうやっていのちが繋がって行くことも分かっているんだけど、
それでも割り切れない気持ちが今ここにある。

今になって、いろんなことが難しい。
大人になるって何だろう。

アイガモは今夜も小さなおうちの中で、みんなで寄り添って寝ているんだろうか。

月曜日、空っぽになった家を見て、大人になった人たちは何を思うんだろう。
大人になりきれない私は何を思うんだろう。



2009年10月19日(月)
当日の朝/「初めて」を前にガンジス河を思い出す


昨日、「ヒマラヤでハエが発見された」とニュースになっていた。とうとうここまで来たのだ。そのニュースをみて、パソコンの前で固まってしまう。わが目を疑う、って言葉は、こんな日のためにあるんだ、きっと。
隣では、先輩方が野球の話で盛り上がっている。
ヒマラヤと野球。

今朝。あぁ、とうとう今日がやってきた。いい天気になりそうだ、と思いながら車を飛ばし、出勤する。
昨夜は、米(稲作)担当のTさんの所へ行っておよばれしたら、旅の話に花が咲いて、帰りがすっかり遅くなった。
Tさんの、高校時代の旅の話に、つられて学生時代の自分を思い出していた。
教育について本気で頭を悩ませるほど考えていたこと、フィリピンのこと、カンボジアのこと、インドのこと、環境問題に息がつまりそうなほど焦っていたこと、ちっぽけな自分、がむしゃらだった自分、高揚していた自分・・・。
アイガモを捌く前夜に、思い出せてよかった。お話できてよかった、と思った。

6時30分、牧場に向かう子どもたちを見送りながら、まだオムツをあてているあの子にとって、今日が、人生にとってはじめて、牛をあんなにたくさん見る日かもしれない、と思う。
もしそうだとしたら、牛に触るのが初めての子だっているとだろう。多さにびっくりするかもしれないし、匂いが苦手になるかもしれない。
乳房の感触に驚くかもしれないし、搾りたて牛乳が温かいことに感動するかもしれない。
今はまだ何も知らない、何が起こるかわかりようもない、それが数分後には、世界に革命が起こるんだ。
今まで、大切に持っていた、その子自身の白い1ページが、今日のあっという間の出来事で、塗り替えられて、そして一生、その1ページから、今日という初めての体験の日は消えることはない。
この先、何度も何度も経験するとしても、初めて体験した、という日は、後にも先にも、人生にとって1度きりしかチャンスがない。
「初めて」のなんと大切なことだろうか。
この仕事をしていると、「初めて」キャンプに来たよ、とか、「初めて」畑に行ったよ、「初めて」ポニーに乗ったよ・・・いろんな「初めて」に出逢う。なんて責任ある仕事だろうか、と思う。
「初めて」はその子にとって永遠のものであり、そこに関われたことの、なんと幸福なこと!
経験をしてしまえば、「初めて」前の、まだ何も知らない頃の私は、その子は、もう二度と取り戻すことができない。
私はそうやって育ってきたし、そうやって経験を重ねてきた。いやなことも、うれしいことも、全部。
そうなんだなぁ、とそんな単純なことにさえ、子どもの成長を見ると、感動する。
そして、今日、私にとって「初めて」のアイガモを捌く日だ。
いづれ、いづれ、と思っていた日がとうとう今日になった。突然、こちら側からのアクションなしに、決まったこと。
今、何も分からない、言語も分からない、闇かも光かも分からない世界へ、両手を引っ張られて連れていかれている感じがする。
捌くのに慣れた(という表現は悪いのかもしれないが)先輩と仕事として捌くのだから、自分から経験したいと思って参加させてもらう“今まで”とはわけが違う。
でも、どう違ってどう違えばいいのか、分からない。自分の中だけの問題かも知れないけど。
ここにいると、私が慣れていないものにみんなが慣れていて、時々戸惑ってしまう。そもそもの価値観や考え方が違うんだ、と驚かされる。
農業しかり、畜産しかり。専門用語やその関係の人が持つ考え方や経験を聞くたび、おどおどしてしまう。
そうか、そうなのか、と。
だから今日も、そんな中、一人で考え込んでしまいそうなことが怖い。
まだ見ぬ価値観を見せつけられて、圧倒されるのが怖い。
わがままかもしれないけど、こんな大切な経験は、どんな誰にも侵入されたくないし、よごされたくない、と思ってしまう。
神聖な場所であって欲しいから。

いのちを大切にしたい、と思うのはただのエゴかもしれない、と時々思う。そう思っていても、結局私はこの便利で“豊かな”生活から抜け出せずにいて、普段、私の血となり肉となっているいのちについて、思いをはせ続けられたことはないのだから、エゴかもな、と思うのだ。
寿命まで生きられる(だろう)私たち(さらに日本人である私たちはその確率が高い)と、寿命を人の手によって、勝手に決められて殺されてしまうアイガモ。
狭い小屋にずっと入れられていたアイガモ。邪嫌に扱われていたと見えたアイガモ。何度も逃げようとしたアイガモ。人間におびえてしまったアイガモ。
生きるって何だろう、とまた考えてしまう。

私がずっと、避けてきたものがある。触れなかったもの。それは、死体だ。
死んだものが何であれ誰であれ、私は触ることをずっと恐れてきた。
それは幼いころ、大きなおばあちゃん(=ひいばあちゃん)が死んだとき、冷たく固くなっていたことを痛烈に覚えているからかもしれないし、ただ単純に気持ち悪いと思ってしまったからかもしれない、怖いと思ってしまったからかもしれない、今となっては、どれに原因があって怖いのか、自分でも分からない。
とにかく、触ったときに生というものが全く伝わってこない、抜け殻になってしまった死体に、触ることを私はすごく恐れている。
もしかしたら、どこかで、神聖なものという感覚も、持っているのかもしれない。

そんなことに恐れている私だが、ガンジス河で、死んだ後ガンジス河に還っていく人たちの儀式を見た。
どうしても見たくて、見に行った。
河近くの寺から、男たちが大声で歌を歌いながら、布でまかれた死体を担いで走ってくる。
その歌は、悲しい旋律でも逆にポップな旋律でもなく、ガンジス河に還っていくことを讃えるかのような、何かを奮い立たせるような旋律だった。
やがて死体はガンジス河の川岸に運ばれ、そこで、まず河の水で清められ、焼かれる場所が空くのを待つ。
そのエリアでは、十数体もの死体が、最後の最後、けむりが消えてなくなるまで、独特のにおいを放ちながら焼かれている。
次々に運ばれてくる死体が、自分の順番を、静かに待っている。
やがて、自分の順番がやってきた死体は、自分の体が焼かれる場所まで連れていかれて、藁や木やいろんなものに覆われていく。
そして、一通りの儀式を終えた後、死体は炎に包まれて、ガンジス河へと還っていく。

驚いたのは、それらに関わる人全員が、男性であること、体を覆う藁や木はカーストによって種類が異なること、儀式の最中、親族が死体と写真を撮ること、死体が焼かれているすぐ側では子どもたちが野球をして遊んでいること、観光客ばかりでなく、インド人が多くその光景をずっとながめていたことだ。
生と死の、あまりにもそこに在ることの自然さというか、このことが特別なことではなく、インド人にとってありふれた日常のひとつであることが、あまりに優しくてあまりにも厳しくて、私は呆気にとられて涙があふれた。
その時、何も難しいことではないのだ、と思った。死ぬことは、何も難しいことではない。(※決して死を楽観視する表現ではないことを、2020年の私が注釈として追記しておきたい)
そして、死とは何か言葉では表現できないほど尊いものなのかもしれない、と燃えゆく死体を見てぼんやりと思った。

今日この数時間後の、アイガモを捌くという「初めて」の体験は、私にとってとても意義のあるものになるかもしれないし、もう二度とやりたくないと思うかもしれない。でも、この歳になってできるということは、とてもありがたいことに変わりはない。そして、この歳で経験するということは、今目の前にいる子どもたちに伝えていく役割を担うということなのだと思う。Tさんの子どもたちに、今日牧場に行った子どもたちに、同級生の赤ちゃんに、そして未来の私の子どもたちに。
今の日本では、見えにくくなった、いのちの向こう側。決して気持ちよくないこの経験を通して私は、向こう側を見るエネルギーを蓄えたい。そして、きちんと伝えられるようになりたい。
いのちとは尊い。生きていることも、死にゆくことも、永遠に尊い。


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