4.食べない決意をした夜

「食べることって必要なのかな」

夜に眠れない日々が何日も続いた。夜は寝るものだと思ってたし、夜寝られない自分になるなんて思ってなかった。時刻は午前4時、明日も仕事がある。なのになんでだろう、まったく眠くないのだ。仕事に行きたくないというよりは、仕事を辞めたらこの先どうなるんだろうという不安。貯金がそこまであるわけではないし、これといった資格があるわけでもない。パソコンはある程度できるし、タイピングが速い方だとは思うけど、難しいシステムを構築するような知識はない。この先どうやって、私は生きていくんだろう。この時やっとわかった。人は、何も食べていないと、何も考えられなくなるということを。そして、起こらないかもしれない不安が現実に降りかかってくると極度に思い込んでしまうことを。

「服はあるし、住むところもある、それだけでいいんじゃないかな」

衣食住は人によって必要だとは思うが、今の私にとって食べることはさほど重要にはなっていなかった。現に今の私は、何も食べていないのに普通に歩くことができたし、通勤中も勤務中もふらつくこともなかった。きっと体に蓄積されている脂肪がエネルギーに変えられているんだなと思った。テレビ番組の特集かなんかで見たことある。無人島で食べ物なしで過ごして生還した人がいるって。私も無人島にいるって思えばいいんだ。しかも、無人島よりも好条件で生活できている。食べ物があるかないかだ。

「財布にあるお金を食べ物に使っていいのかな」

財布にお金があることに不安を感じるタイプではあった。1日に必要な分だけいれるのが癖だった。1日を生きるために必要な分だけお金があればいいと思っていた。でもそれなら、食べ物を買うお金は今の私には必要なのだろうか。実は、コンビニのお弁当を無理やり食べようとしたことがある。レジにお弁当を持って行った時、これが人生で払う最後のお金なんだろうと思いながら会計をした。少しボリュームのあるチキン南蛮弁当だった。20分かけて食べたお弁当の味を今になっても思い出せない。とりあえず体に栄養を入れているという感覚。久しぶりに食べ物を食べたせいか、仕事のスピードが少し早まった気がしたし、その日は珍しく怒られることもなかった。食べることは大事なことなんだ、ちゃんとわかってたはずなのに、夜になると私はまた自問自答する。

「食べることって必要なのかな」

食べたものを美味しいと感じなくなったのはいつからだろう。食べることは人生にとって特に意味はないと感じ始めたのはいつからだろう。衣食住の食はただ真ん中にあるだけで、衣と住があれば人は生きていけると断定してしまったのはいつからだとろう。チキン南蛮弁当を食べた日の夜、私は自分の財布から食べ物のためにお金を使わない決心をした。このお金は、食べ物を買うために使うべきではないんだ、このお金は私にとって命なんだ、食べなくても生きていけるんだ、私はそう確信していた。今思えば、そうやって自分自身に言い聞かせていたのかもしれない。

「麻婆茄子苦手で、すみません」

食器を片付けに来た看護師さんに私は言った。麻婆茄子は大好きなメニューだったのに、なんで苦手って言っちゃったんだろう。私はもう、自分の言いたいことも言えなくなってしまったのかな。食べることは必要なかったはずなのに、どうしてこうなっちゃうんだろう。私は病気なのかもしれないね。


次のお話は、【5.私に告げられた病名】です。ここまで読んでいただきありがとうございます。

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